●初出:月刊『潮』1997年6月号「市民講座」●執筆:坂本 衛
最近、「日米防衛協力のための指針」見直しの
ニュースを見聞きします。どういうことですか?
「日米防衛協力のための指針」(日米防衛協力ガイドラインとも呼びます)は、日本とアメリカが防衛上の作戦協力をするときの基本的な枠組みを定めた文書です。日米の制服組(軍人)を中心とする防衛協力小委員会がタタキ台をつくり、一九七八年十一月にまとめられました。それまで日米間には、作戦協力の研究や協議はなかったのですが、七五年の南ベトナム崩壊などアジア情勢の緊張を受けて、共同作戦計画の基礎をつくっておくことにしたのです。
内容は、(1)日本に対する侵略を未然に防ぐため、日本は適切な規模の防衛力を保持し、米国は核抑止力、即応部隊の前方展開、来援兵力を保持する。(2)日本が武力攻撃を受けたら、限定的で小規模な場合は独力で対処し、それができなければ米軍の協力をうる。米軍は自衛隊の能力を補完する作戦を行う。(3)極東での日本の安全に重要な影響を与える事態への対処については随時協議し、米軍に対する便宜供与について研究する、というもの。
なお、日本国憲法による制約、非核三原則、日米安全保障条約の事前協議の三つにかかわる問題は、研究や協議の対象にしないとされています。
その後、自衛隊と米軍はこの指針に基づき、ソ連軍の北海道侵攻に対する共同防衛作戦や、シーレーン防衛作戦などの研究を進めました。その中身はもちろん極秘とされています。
もともと軍事的文書なのですね。
その見直しがいわれるようになったのは、なぜですか?
「日米防衛協力のための指針」(以下ガイドラインと呼ぶことにします)の見直しは、九六年四月、日米首脳会談の際に出された「日米安全保障条約の再定義に関する共同文書」の中でうたわれています。
いうまでもなく日米安全保障条約は、一九五一年に調印され、改定をめぐって国論を二分した(六〇年安保闘争)日米の軍事条約。そのポイントは、第五条で「日本国の施政下にある領域における、(日米の)いずれか一方に対する武力攻撃」への共同防衛を約束したことです。
つまり、日本が武力攻撃を受ければ、米軍は防衛戦争に加わってくれます。一方、アメリカ本土が武力攻撃を受けても、日本は参戦する必要がありません。これは、日本に憲法九条があり、憲法上「個別的自衛権」の発動ならばよいが「集団的自衛権」の発動は許されない、と考えられているからです。
ところが、ソ連など東側の社会主義体制が崩壊し、東西の冷戦が終わると、東側諸国の脅威を前提としていた日米安全保障条約の意義も変らざるをえなくなりました。そこで、定義をやり直したのが、昨年春の共同文書なのです。
この文書では、「アジア・太平洋地域には依然として、不安定性と不確実性が存在する。朝鮮半島の緊張は続き、核兵器を含む軍事力も大量に集中している。未解決の領土問題、潜在的な地域紛争、大量破壊兵器の拡散など、不安定化の要因がある」と述べ、だから「日米安保条約を基盤とする日米安保関係は、二十一世紀にむけて地域の安定と繁栄を維持する基礎」なのだと書きます。
こうした認識から、日本周辺地域に事が起こったとき(有事の際)の日米間の協力について研究する必要があるとされ、ガイドラインの見直しが打ち出されたわけです。とくに、朝鮮半島の不安定な情勢が、対応を急がせています。
また、在日米軍が過度に沖縄に集中していることが問題になり、普天間基地の返還や基地の縮小などが決まりましたが、米軍は沖縄で譲歩する代わりに、見返りを求めています。その例が、やはり昨年春に交わされた「物品役務相互提供協定」(日米が物資や役務を融通し合うための取り決め)ですが、同じようにガイドラインでも米側は、日本の役割や負担をこれまで以上に明確に打ち出してほしいと考えています。
具体的には、
どう見直すのでしょう?
政府は、九七年の秋までにガイドラインの見直しを終わりたい意向です。
冒頭で現行ガイドラインの内容を、(1)から(3)まで紹介しましたね。このうち、(3)の極東における有事の際の対応については、この二十年間なにも手がつけられていませんので、新たにまとめる必要があります。
極東有事についての検討課題とされているのは、海外にいる日本人の安全確保や救出、難民対策、作戦行動中の米軍に対する物資補給、武器の修理、民間も含めた施設の提供などです。
また、(2)の日本が武力攻撃を受けた場合についても、防衛庁や外務省筋は抜本的に見直す意向です。現行の規定をかみくだいていえば、
「受けた攻撃が、狭い範囲で大したこともなさそうなら、まず自衛隊だけが出ていく。それでだめなら、米軍の助けを借りる。その際、自衛隊は日本の領域や周辺だけで戦う。米軍は自衛隊にできないことを受け持つ」
となります。政府・自衛隊はこれを、
「日本が武力攻撃を受けたら、その範囲や規模にかかわらず、はじめから日米が共同作戦を行う。場合によっては、自衛隊が日本の領域の外に出ていくこともありうる」
と変えたいのです。とくに自衛隊には「まず自分たちだけで戦い、だめなら助けてもらう」という柔道や剣道でいえば「先鋒と大将」のような格付け、役割分担に強い抵抗があります。
日本の領域の外に出ていくというのは、外国で戦争するという意味ではなく(憲法でそれはしないと決めています)、(3)の在外邦人救出や米軍の軍事作戦の後方支援で、自衛隊が出ていくことを想定しています。これは、米軍が期待していることでもあります。
自衛隊の役割が、今より大きくなることは確かなようですね。
これまでより「戦争」が近づくような不安を感じるのですが?
政府は、日米安保条約の再定義、物品役務相互提供協定、日米防衛協力の指針見直し、さらに有事法制の整備と、日米の軍事協力にかかわる新しい仕組みづくりを次々に打ち出していますから、その不安ももっともだと思います。
ただし、考える必要があるのに思考停止してしまい実際何事も起こらなかったために済んでいた問題(たとえば朝鮮半島の有事対応)や、その場しのぎの対応でごまかしてきた問題(たとえば湾岸戦争への資金提供)などを、きちんと整理しておくという意味では、いたずらに不安を感じる必要はありません。
しかし、指針の見直しには、いくつか大きな問題点があることも確かです。日本政府は、憲法解釈を変更するようなガイドラインはつくらないとしていますが、検討項目には、憲法上許されていない「集団的自衛権」にかかわりかねない内容が含まれているのです。
たとえば、紛争地域の近くまで自衛隊艦艇が出ていき、戦っている米軍艦艇に燃料を補給するという場合、ふつうの(国際的な)感覚ではこれは軍事行動であり、集団的自衛権の発動です。敵軍が米軍艦艇を攻撃するとき、自衛隊の補給艦だけは区別して見逃してくれるなどという馬鹿げたこともないでしょう。
さらにいえば、現行の安保条約の規定すら、集団的自衛権の発動と考えなければ説明のつかないことがあるのです。たとえば、日本の領海で米軍艦艇だけが狙い撃ちされ、自衛隊が反撃する場合(日本は領海・領空侵犯されただけなのに、米軍を助ける軍事行動をとったことになる)がそうです。
有事の際、自衛隊輸送機が邦人救出に飛ぶことが、旧日本軍への恐怖を忘れていないアジア諸国に受け入れられるのかという問題もあります。まだまだ議論が必要だと思います。
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