更新:2008年8月6日
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ドーピング

●初出:月刊『潮』1995年2月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

Question広島アジア競技大会に参加した中国選手のドーピングが発覚しましたね。
ドーピングについて教えてください。

Answerはい。ドーピングとは、スポーツ選手が競技に勝つために、ある種の薬物を飲んだり注射したりすること。南アフリカのカフィール族が祭りのときに飲む強い酒「ドープ」が語源といわれます。

 ドーピングの歴史は大変古く、紀元前にギリシャで開かれた古代オリンピック当時からあったようです。ローマ帝国の時代には、蜜《みつ》と水を混ぜてつくるハイドロメールを競走馬に飲ませています。十九世紀半ばからは、競走馬や競争犬に薬物を与えることをドーピングと呼ぶようになりました。これがスポーツ選手に広まっていったのです。

 しかし、ドーピングはスポーツ精神に反するばかりか、選手の体にも有害です。一九六〇年のローマオリンピックでは、デンマークの自転車選手がドーピングによって死亡する事故が起こり、国際スポーツ界は規制に本腰を入れ始めました。

 IOC(国際オリンピック委員会)は、六二年にドーピング反対を決議。六四年東京オリンピックのときに開かれた国際スポーツ科学会議では「ドーピングとは、選手の競技能力を高めるために、人体に生理的に存在しない物質を、また生理的に存在する物質であっても異常な量または異常な方法で、選手に投与したり選手自身が使用すること」と定義されました。六八年のメキシコオリンピック、グルノーブル冬季オリンピックからは、ドーピング検査も正式に始まっています。

興奮剤や筋肉増強剤は禁止

Questionどんな薬物が
禁止されているのですか?

AnswerIOCではドーピング薬物のリストを掲げて禁止しています。禁止薬物には精神活動刺激薬(アンフェタミンなど)、交感神経系アミン(エフェドリンなど)、中枢神経刺激薬(アミフェナゾールなど)、麻薬(モルヒネなど)、タンパク同化ホルモン(テストステロンなど)といった種類があります。

 アンフェタミンは、精神を高揚させ食欲を減退させる興奮剤。覚醒剤の一種で、やめられなくなり、強い副作用があります。エフェドリンも興奮剤で、疲労感がなくなり精神が高揚します。この薬はセキ止め効果があるので、ぜんそく薬や市販されているカゼ薬にも含まれています。八四年のロサンゼルスオリンピックで、日本のバレーボール選手から検出されましたが、カゼを引いて飲んでいた漢方薬のせいとわかり不問に付されたことがあります。

 日本茶やコーヒーに入っているカフェインにも興奮作用があり、やはり禁止されています。検査では、日常的に飲んだコーヒーの結果か特別に服用した結果かを判別できますが、オリンピック選手村で出されるコーヒーは念のためカフェイン抜きだそうです。

 タンパク同化ホルモンは、筋肉増強剤として使われます。生殖機能の低下、腎臓や肝臓の機能障害、脱毛といった副作用があります。今回中国選手から検出されたとされるテストステロンは、男性ホルモンの一種。使うと筋肉隆々とした体になりますが、男性の場合は睾丸《こうがん》が小さくなる、女性の場合は声が低くなり毛深くなるなどの副作用があります。

使用と禁止のイタチごっこ

Questionいろんな薬が
あるものですねえ?

Answerまだまだあります。βブロッカーは、交感神経β受容体を遮断する薬で、脈拍の上昇を抑えるため高血圧や不整脈などの治療に用いられます。これを射撃選手が使うことがあります。心臓のドキドキが抑えられ、照準が合わせやすくなるのです。

 利尿剤は、尿を出やすくする薬ですが、体重を急激に減少させる効果があるので、重量階級制を採用しているボクシングやレスリング選手などが使います。また、薬物を短時間のうちに排泄するために使われることがあります。

 ドーピングの変わり種は、血液ドーピングと呼ばれるもの。これは選手自身の血液を牛乳ビン一本分ほど採って冷凍保存しておき、競技の二十四時間前に再輸血する方法。血液中の酸素濃度が上昇し、筋肉に送られる酸素の量が増加するため、持久力がアップします。

 IOCは以上の薬や血液ドーピングも禁止しており、指定した禁止薬物は一〇〇種類以上に及びます。選手側は次から次へと新しい薬物を、しかもより巧妙に使い、IOC側はその検出方法を編み出してはリストに載せる──そんなイタチごっこが現在も続いているのです。

出場停止処分や追放も

Questionドーピング検査は
どのように行われるのでしょう?

Answer検査の通告を受けた選手は、一時間以内に検査室に出頭しなければなりません。検査室では、選手の尿を約一〇〇cc採取し、A・B二つのサンプルに分けます。サンプルはIOC公認の検査機関に運ばれ、まずAサンプルについてドーピング薬物の化学分析が行われます。このときBサンプルは厳重に冷蔵保存されます。Aサンプルから陽性反応が出た場合は、本人や関係者(監督やコーチなど)の立ち会いのもとでBサンプルを開封し、分析します。こちらも陽性となれば、ドーピングの事実があったと決定されます。検査はオリンピックやサッカーのワールドカップでは常時行われるほか、国際的な競技連盟や各国の競技団体が抜き打ち検査を実施しています。

Question選手の処分は
どのように決まるのですか?

Answerドーピングがあったと決まれば、大会主催者はメダル剥奪《はくだつ》、記録抹消《まっしょう》といった手続きをとります。また、国際陸上連盟、国際サッカー連盟、国際水泳連盟といった組織が、その選手を処分します。

 たとえば、八八年のソウルオリンピックで一〇〇メートルを九秒七九の世界新記録で走り優勝したカナダのベン・ジョンソンは、ドーピングによって金メダルを剥奪され、記録も抹消されました。ジョンソンはこの事件で二年間の出場停止処分を受けましたが、復帰後の九三年にモントリオールの室内競技大会で薬物の使用が再び発覚。再犯とあって、陸上競技界はジョンソンを永久追放としました。ジョンソンは町の運動会で走ることはできても、IOCや国際陸上連盟が公認する大会には永久に出場できません。

ドーピングの背景

Question中国選手の事件では、組織的なドーピングという声も
出たようですが、本当でしょうか?

Answerそうですね。今回は、女子水泳で金メダルを四つ取った呂彬、男子水泳でやはり金を四つ取った熊国鳴など、水泳選手七人を含む十一人という大量のドーピングが発覚しました。疑わしいが断定できないグレーゾーンの選手も何人かいたとされ、コーチなどが関与した組織的なドーピングとの疑いが濃くなっています。

 検査を受けた選手が悪びれもせず大変協力的だったこと、発覚後も一切覚えがないと強く否定していることからすると、コーチや医療スタッフが、食事などを通じて選手の知らないうちに薬物を投与したのではないか、とも思われます。中国は、最近になって国を挙げてドーピングを推進していたことが明るみに出た旧東ドイツから、水泳コーチを招いていたのです。

 薬を飲んでまでメダルに執着する必要があるのかという疑問がわきますが、中国では国際舞台で活躍したスポーツ選手やコーチに破格の報酬が約束されます。北京オリンピックの誘致も国家主導で推進されています。スポーツが国威発揚の重要な手段だという国情が、今回のドーピングの背景にあることは否定できないでしょう。しかしスポーツこそは、国や社会体制、民族や文化の壁を越える人類共通の言語のはず。今回の事件をきっかけに、そのことを改めて確認しておきたいものです。

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