更新:2008年8月16日
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円高(1993)

●初出:月刊『潮』1993年9月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

一ドル一〇四円台の最高値

Question円高が進み、円が一ドル一〇四円台の最高値を
つけましたね。円急騰の原因は何ですか?

Answerはい。一九九三年の正月に一ドル一二五円前後だった円相場は、二月に入って急激な上昇を始め、四月一九日の東京外国為替市場では一一〇円台に突入。六月一五日には一ドル一〇四円八〇銭の史上最高値を記録しました。わずか四か月余りで、円はドルに対して一六%も値上がりしたわけです。円はその後、政局の混迷によってやや円安方向に動いていますが、円高基調は変わらないとする見方が大勢を占めています。

 この円高の原因は何かというと、やはり根本には日本の大幅な貿易黒字の存在があります。わが国の昨年の貿易黒字は一三〇〇億ドルを超え、GNP(国民総生産)の三・六%に達しました。黒字の膨脹は今年も続き、一五〇〇億ドルに迫る勢いです。このように膨大な黒字をためこんでいる国は世界でも日本だけ。対する欧米は、円高による黒字削減を期待する姿勢を鮮明にしはじめたのです。二月の急騰のきっかけは「欧州議会が長期的な円高を要求」と伝えられたからでした。また、クリントン米大統領は日米首脳会談直後の四月一七日、円高を歓迎する発言をしています。これは土曜日でしたが、市場の開いた一九日の月曜日には、円は一気に二円以上も値上がりしました。

 円高ドル安になれば、日本から欧米への輸出にはいずれブレーキがかかります。たとえば一ドル一二五円が一〇〇円になれば、一万ドルで一二五万円の日本車(日本から輸出する車)を買おうとしていたアメリカの消費者は、一〇〇万円の車しか買えなくなります。日米の車が同じ一万ドルの値札をつけて並べて売られていたのに、日本車だけが一万二五〇〇ドルに値上げされる、といってもいいでしょう。いずれにせよ、日本からの輸出品は割高になって売れなくなり、輸出は減っていきます。

 欧米政府要人がそう期待するというのですから、為替市場はそのことを先取りして動きます。つまり誰もがドルを売り、近い将来値上がりするであろう円を買おうとします。すると円の価格は競り上がっていき、円高が進むことになります。

市場はドル売り要因ばかり

Question外国為替市場というのが、
どうもよくわからないのですが?

Answerそうですね。円相場の動きを伝えるテレビニュースが、電話で取り引きを行っている場面を流していますが、魚市場や青物市場のように取り引きされているものが目に見えないので、わかりにくいかもしれません。

 外国為替市場とは、外国との輸出入取引や資本取引によって得た外貨資金、あるいは必要とする資金を売買する市場です。銀行やブローカー、それに商社、輸出入メーカー、機関投資家(生命保険会社など)といった顧客が参加します。

 たとえば、輸出企業は海外から受け取ったドルを売って円に換えます。輸入企業は海外に払うドルを手当てするため円を売ってドルに換えます。先ほど説明したように日本は大幅な貿易黒字──輸出超過ですから、ドル買いよりドル売りが多くなります。ところで輸出企業は、円安ドル高のときにドルを売ったほうが有利。今回の円高が始まったときも、いずれもとに戻る(円安に動く)と予測してドル売りを遅らせたところが多いのです。この遅れたドル売りは今後まだまだ出てきます。

 機関投資家は、これまでアメリカの国債を買うなどドル買い勢力でしたが、最近では外債投資に極めて慎重になっています。むしろ、為替差損がこれ以上拡大しないように、ドルを売る動きも目立ちはじめました。銀行も、円買いドル売りを先行させ、儲かればドルを買い戻すというスタンス。

 このように、円が最高値の一〇四円台に突入し、「次の節目は一ドル一〇〇円」といわれたころの外国為替市場では、ドル売り要因ばかりが目につきました。ドルを買うのは、行き過ぎた円高を抑えるために市場介入をする日銀だけといわれたほどです。

産業の空洞化が心配

Question円高が日本経済にもたらす影響は、
どのようなものですか?

Answer最大の影響は、輸出産業に与えるマイナスでしょう。先ほど、円高になると日本からの輸出にブレーキがかかるといいましたが、実は円高になった直後はドル建ての輸出価格が膨らみ、黒字幅も拡大します。詳しい説明は省きますが、これは「Jカーブ効果」と呼ばれる現象。このJカーブ効果がまだ続きますので、円高にもかかわらず貿易黒字は拡大します。すると、欧米からの黒字批判は強まり、経済摩擦が激しくなります。

 しかし、円に換算した輸出企業の受け取り額は確実に減り、収益を圧迫します。受け取り額を維持するには現地価格を値上げするのですが、消費者相手の製品では円相場に合わせて頻繁に価格を変えるわけにもいきません。景気は底入れの気配をみせていますが、自動車、家電、コンピュータなどでは、業績の回復はさらに遅れそうです。

 一方、経済企画庁がこの春にまとめた調査では、輸出企業が採算が取れるとみる円相場の水準は平均で一ドル一二四円でした。一一〇円でやっていけるという企業はわずか二・四%にすぎません。こうした状況では輸出メーカーは、国内生産を減らし、海外生産の比重を高めようとします。オーディオメーカーのケンウッドは、海外生産比率を現在の二五%から来年度中に五〇%まで高め、部品の海外調達比率も六〇%から今年度中に八〇%とします。本田技研工業もアメリカで販売する乗用車のアコードを、すべて現地生産に切り替えます。こうした海外生産シフトによる国内生産基盤の縮小、技術力の低下、雇用不安といった影響──いわゆる「産業の空洞化」も心配です。

 巨大メーカーは海外に進出できても、ほとんどの下請けメーカーはついて行けません。ですから円高は、大企業のもとで部品メーカーなどがつくるピラミッド型の下請け構造に、大きな変革をもたらすことになります。廃業に追い込まれる会社もあれば、合併などの企業再編で生き延びる会社、中小なりに独自の技術を活かして自立を図る会社もあるでしょう。こうした産業構造の変化への対応が早急に求められています。

円高差益還元に期待も

Question円高は、円がより強くなることだから、
マイナス面ばかりではないのでしょう?

Answerその通りです。これまで一二五円で買っていたものが、一〇五円で買えるわけですから、原材料や燃料を輸入する企業にとって、円高は大きなプラス。電力、ガス、石油、紙パルプ業界などは、いずれも大きなメリットを受けます。牛肉、オレンジ、エビ、小麦などの食品、木材や家具、外国車、海外ブランド品といった輸入品も、円高メリットを受けます。もちろん海外旅行も有利になります。

 しかし、輸入品が安くなるといっても、消費者が「円高差益の還元」にあずかれるかどうかは、また別の問題。わが国には依然として、問屋を何軒も通すような複雑な流通形態が残っています。八〇年代後半の円高不況のときには、差益が何段階もの流通過程で少しずつ業者に還元されてしまい、消費者の手には何も残らないことがありました。

 大手スーパーやディスカウント店では、「円高還元セール」とか「円高バーゲン」と銘打って、牛肉や果汁飲料などの食品や、海外雑貨などを値下げしています。もっとも牛肉や果汁飲料は、折りからの消費不振でもともとかなりだぶついており、在庫一掃セールのおもむきもあります。結局、一ドル一一〇〜一〇五円で輸入した商品が実際に店頭に出るのはまだ先の話。円高効果を受けた商品が本格的に出回るのは、今年後半以降とみたほうがいいでしょう。石油を大量に輸入する電力会社でも、まだ還元できる円高差益が生じていない段階。還元に踏み切れるかどうかは円高の程度によりますから、今後も見守る必要があります。

 円高は、長い目でみれば──また、特定の業界に傾かず個人や企業や国全体を総合的にみれば、日本経済にプラスに作用します。差益還元もそのひとつですが、円高によるプラスを適切に引き出す政策やシステムが求められています。同時に、ひとりひとりの個人やそれぞれの組織でも、円高をプラスに働かせるような行動なり戦略をとることが大切でしょうね。

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