更新:2008年8月16日
現代キーワードQ&A事典の表紙へ

ヘッジファンド

●初出:月刊『潮』1999年1月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

Question最近よく「ヘッジファンド」という言葉を聞きます。
どんなことですか?

Answerヘッジは「垣根」のこと。転じて「防御策」の意味です。ファンドは「基金」ですが、ここでは多くの人から資金を集め、株式などに一括投資して運用する「投資信託」のこと。戦後アメリカで生まれたヘッジファンドは、さまざまなリスク(危険)を想定し、どう転んでも損をしないよう株式の種類や売買をうまく組み合わせて運用する「防御的な」投資信託でした。

 ところで「ヘッジ」は、昔から江戸時代の米取引やオランダのチューリップ取引でも行われてきたもので、「保険つなぎ」などと訳されることもあります。

 たとえば、チューリップを産地で買い付けたが、現物が到着する三か月後に、価格が暴落してしまうということがありえますね。こうしたリスクを回避するため、業者は買い付けと同時に商品取引所で先物取引(証拠金を積めば、現物なしに、いついつまでに受け渡しするという条件で売買できる取引)をし、三か月後の先物を売っておきます。そして、現物が入荷した時点で買い戻す(反対売買する)のです。

 すると、現物が値下がりした場合は、先物で儲かります。逆に、現物が値上がりしたとすると、先物で損が出ます。いずれにしても先物と現物の損得が相殺され、価格変動によるリスクは回避できるわけです。これが商品取引のヘッジの一例です。先物外国為替市場でも同様の為替ヘッジ取引が行われています。

 このようにヘッジには本来、保険や防御の意味合いがあります。しかし、現物がなくても証拠金を積めば思惑だけで売買ができる先物取引は、投機を招きやすいのです。現在のヘッジファンドも、もともとの性格とはまったく異なります。リスク回避の「防御策」は名ばかりで、きわめて大きなリスクをかかえながら無茶苦茶な儲けを狙う「攻撃的」ファンドに変質してしまっています。

テコの原理で天文学的な運用

Question現在のヘッジファンドは、
どのような仕組みなんですか?

Answerヘッジファンドは、まず九九人以下というように限られた大金持ちから、たとえば一人あたり五〇〇万ドルずつの資金を集めます。こうすると、証券会社が広く一般公募(販売)する投資信託とは違って、金融当局のさまざまな規制や情報開示の義務を免れることができます。

 そして、バハマ、バミューダ諸島、ケイマン諸島などタックス・ヘイブン(租税逃避地)と呼ばれる国に本社を移して、全世界を舞台に投資、というより投機を繰り返します。実態が不明な点も多いのですが、ファンドの数は五五〇〇以上ともいわれています。

 有名なヘッジファンドには「ソロス・クオンタム・ファンド」「ロングターム・キャピタル・マネジメント(LTCM)」「タイガー・マネジメント」などがあります。ソロス・クオンタムの主宰者はハンガリー系のユダヤ人投資家ジョージ・ソロス、LTCMの主宰者は米ソロモンブラザーズ証券の腕利きディーラーだったジョン・メリウェザーで、資金運用の指南役にノーベル賞を取った経済学者二人をかかえるという具合です。

 これらヘッジファンドは、デリバティブ(金融派生商品)と呼ばれる金融取引──株式や債券を将来一定価格で受け渡しする権利を売買するオプション取引はじめ、さまざまな形態がある──を駆使します。外国為替の先物取引を集中的に行うファンドもあります。オプション取引も先物取引も、アムステルダム取引所(オランダ)のチューリップ取引と基本的には同じ。ただ、チューリップの代わりに通貨や国債や株式などを売買しています。

 ヘッジファンドの特徴的な手法に「レバレッジ」(テコの原理)があります。テコを使えば体重の何倍もある大きな岩を動かすことができるように、元手の何倍、何十倍という非常に大きな取引をするのです。まず、顧客から預かった資金を担保に銀行融資を受けます。この資金(すでに最初の何倍かになっています)を先物取引の手数料や証拠金に使います。証拠金を一割とすると、最初に集めた額の数十倍の取引ができるわけです。

 LTCMの場合、顧客からの預かり金は五〇億ドル弱。銀行や証券などの融資額は一二五〇億ドル。これを手数料や証拠金として使い、のべ一兆二五〇〇億ドル(約一七〇兆円)もの取引を行っていたといわれています。

タイではバーツ危機の引き金

Questionそんなにうまく
儲かるものでしょうか?

Answer九七年までは、うまくいっていました。LTCMの利回りは年四〇%に達していました。 ヘッジファンド成功の背景には、世界の金融自由化、つまり資本の移動の自由化の進展があります。また、ヘッジファンドは、冷戦が終わってリストラされたハイテク軍需産業の人材を引き取り、スーパーコンピュータをフル回転させて投資に活用しています。コンピュータや通信技術の進歩も、成功要因の一つです。

 しかし、うまくいっていた最大の要因は、徹底的にファンダメンタルズ(経済実態)を分析し、いったん買いや売りと決めたら、巨大な資金を武器に徹底的に狙い撃ちするという投資手法にありました。

 ソロス・クオンタムは九二年、欧州単一通貨ユーロ問題で揺れる英国通貨のポンドを投機売りして大儲けし「イングランド銀行に勝った」といわれました。九七年のタイ通貨のバーツ危機も同じ構図。投機筋は、ドル資産を担保に東南アジアの銀行からバーツを借り、それを「空売り」(賃料を払って借りたものを売ること)します。タイの通貨当局は必死にバーツを買い支えようとしましたが、結局一ドル二五バーツから五〇バーツ割れへと、半値に急落しました。そこで半値のバーツを買って銀行に返せば、賃料を払っても莫大《ばくだい》な利益が得られるわけです。

ロシア経済危機で大火傷《やけど》

Question一国の経済危機を引き起こすとは、
ヘッジファンドも罪が重いですね?

Answerまったくひどい話です。タイ政府にも責任はありますが、タイでは石油も日本車も輸入製品の価格がすべての二倍になってしまったわけです。ミサイルの代わりにカネで戦争を仕掛けられたようなもので、マレーシアのマハティール首相はソロスを名指しで非難しています。

 ところが九八年夏、やりたい放題のヘッジファンドにも、陰りが見え出しました。ヘッジファンドは、高利回りを求めてロシア、中南米、東南アジアなどに投資を重ねてきましたが、ロシアの経済危機によって大きな痛手を被ってしまったのです。すでに説明したように、先物取引というのは、少ない元手で大きな取引ができますが、勝ったときの儲けが大きい一方、負けたときの損失も同じように大きくなります。

 そこで、まずLTCMが実質的に破綻しました。アメリカでは、ダメな金融機関はいち早くつぶすのが原則です。しかし、他の銀行や証券会社のLTCMに対する融資額があまりに大きく、連鎖的な危機が心配されたため、アメリカを代表する金融機関がLTCMに緊急融資を行い、辛うじて倒産は食い止められました。ロシア債券やルーブルに手を出していたソロス・クオンタム、タイガー・マネジメントなども、軒並み一〇億ドル単位の損失を出しました。

 ヘッジファンドが一国の通貨システムを混乱させ、自らも投資の失敗で大火傷を負うとなると、これを規制すべきだという声も当然強まります。南米のチリでは、海外からの投資に対して、その三〇%をチリ中央銀行に預けることを義務づけ投機資金を締め出そうとしています。国際的な監視機関の設置なども提案されていますが、経済の潤滑油である資金移動を制限しすぎると、世界経済に悪影響を与えます。ヘッジファンドは、まだまだ国際金融の「鬼っ子」であり続けるでしょう。

「現代キーワードQ&A事典」サイト内の文章に関するすべての権利は、執筆者・坂本 衛が有しています。
引用するときは、初出の誌名・年月号およびサイト名を必ず明記してください。
Copyright © 1999-2015 Mamoru SAKAMOTO All rights reserved.

Valid CSS! Valid XHTML 1.0! Another HTML-lint がんばりましょう! 月刊「潮」 坂本 衛 すべてを疑え!!

現代キーワードQ&A事典の表紙へ
inserted by FC2 system