更新:2006年9月30日
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インフレ・ターゲット

●初出:月刊『潮』2003年4月号「市民講座」第204回●執筆:坂本 衛

Questionニュースに「インフレ・ターゲット」という言葉が出てきました。
これについて教えてください。

Answer「インフレ」はインフレーションの略で、一言でいえば「物価上昇」のこと。もともとは「通貨膨張《ぼうちょう》」の意味で、世の中の財やサービスの量があまり変わらないのに出回る通貨(紙幣)の量がどんどん増え、物価水準が上昇していく状態をいいます。

 たとえばパンの生産量が1年前の同じ月と変わらないのに、出回る通貨量が2倍になったとしたら、1年前100円だったパンに今月は200円の値札が付けられても不思議はないわけです。

 この逆が「デフレ」(デフレーション)で、こちらは「物価下落」のこと。もともとは「通貨収縮《しゅうしゅく》」の意味で、財やサービスの量が変わらないのに通貨量が減り、物価水準が下落していく状態です。

 ところでインフレは、「物不足」(供給不足)で物価が上昇するわけですから、企業は生産や投資を活発にします。先行き物の値段が上がりそうなら、みんな借金してでも安いうちに買っておこうと考えますから、消費も活発になり景気は上向きます。戦後の日本経済は「高度経済成長」「狂乱物価」といった言葉が象徴するように、基本的にインフレ状態で拡大してきたのです。

 これに対してデフレは、「物あまり」(供給過剰)で物価が下落するわけですから、企業は生産や投資を控えます。買いたい物があまりないので消費も低迷し、景気は下降します。現在の日本経済の状態がこれで、企業の倒産や失業者の増大といった社会不安も、急激に深刻化しています。

 そこで、世の中をインフレに誘導してデフレを解消すれば景気も上向くのではないか、という考え方が出てきました。これが「インフレ・ターゲット」(ターゲットは「標的」の意味)や「インフレ目標」と呼ばれる考え方です。

物価上昇率を設定する

Question具体的には、
どのような政策が考えられますか?

Answer「インフレ・ターゲット」は、ここ数年、散発的に唱えられてはいましたが、あまりまともに取り上げられることはありませんでした。

 ところが2003年1月、政府の竹中平蔵金融・財政担当相が「積極的な議論を」と呼びかけ、与党の山崎拓幹事長も「かねてから主張してきた」と導入を求める発言をしたため、マスコミでも話題になったのです。

 これは、デフレの克服《こくふく》にメドが立たず、経済政策の「手詰まり感」が強くなるなか、政府与党が日銀(日本銀行)によってデフレを打開する道を模索したのだと見られています。この2003年3月に速水優《はやみ・まさる》日銀総裁の任期が終わるという人事問題もからんでいるようです。

 「インフレ・ターゲット」の導入を求める政府与党の関係者のプランは、(1)日銀が現在マイナス1%物価上昇率を2〜3%にもっていくと表明する、(2)国民に広がっている「物価は下がり続ける」との見方をうち消す、(3)日銀が国債を買い増す、など。

 まず、消費者物価指数の対前年比上昇率を、たとえば1年後は1%、2年後は3%というように、期限を切って目標設定します。これは一種の宣言というか「断固やる」という態度の表明で、心理的な効果を狙うわけです。もちろん宣言したからといって、日本中の店が昨日まで100円で売っていたものを101一円に一斉値上げするなどということは、起こりません。

 実際に日銀ができることは、長期国債をどんどん買う(現在は月1兆円が上限だが、これを撤廃《てっぱい》し何兆円でも買えるようにする)ことくらい。すると、市場では国債が品薄となり、国債の購入代金として日銀が払ったおカネ(通貨)が市中に出回ります。このダブついたカネが株式や投資信託、不動産などに向かえば、株式や不動産が値上がりし、企業の財務内容もよくなる。そうなれば生産や投資も活発になりデフレ不況から抜け出せる、というわけです。

実現は非常に難しい

Question本当に、
そんなにうまくいくのですか?

Answer非常に難しいだろうと思います。というのは、冒頭にデフレは「物あまり(でカネ不足)」と説明したのと矛盾するようですが、現在のデフレは、実は「物あまりでカネあまり」状態のなか、物価が下落しているからです。

 冒頭では話をわかりやすくするためインフレとデフレの古典的な説明をしましたが、おカネに代わってクレジットカードなどが氾濫《はんらん》する今日では、通貨の意味が昔とは異なります。日本では個人のもつ金融資産が1400兆円もあり、みんな預貯金やタンス預金として貯め込んでいます。それでも株式や不動産に投資しないのは将来に大きな不安があるからで、カネがダブついていないわけではないのです。

 実際、日銀は2001年3月から徹底的な量的緩和策を取り、事実上のゼロ金利政策で「おカネをジャブジャブ出している」(速水総裁)のに、そのカネが経済活動に回っていません。

 では、デフレの原因は何かといえば、(1)情報通信はじめ社会のさまざまな分野で進む技術革新、(2)中国・東南アジア・東欧圏などを市場経済に本格参入させたグローバル化、(3)労働力や土地確保のため高度成長期に余儀なくされた高コスト構造の是正《ぜせい》、などでしょう。

 日銀が国債を買って市中にカネをばらまくだけでは、国債や株式の価格は上昇するでしょうが、これらデフレの原因を解消することにはつながりません。

 さらに「インフレ・ターゲット」を必ずコントロールできるかどうかもハッキリしません。これまで各国政府が実施したことのある「インフレ・ターゲット」は、物価上昇率の目標を立ててインフレを抑えるケースだけ。インフレを押さえ込むには中央銀行が金利をどんどん上げればよいのですが、インフレを加速させるときは金利をゼロ以下にできず、打つ手が限られてしまうのです。また、物価上昇率が1〜2%では効果は薄いという見方もあり、といって4〜5%を狙ったら、上昇率10%やそれ以上のハイパーインフレを招く危険もあります。そうなれば国や地方の借金は解消できますが、日本経済はムチャクチャになるでしょう。

デフレと付き合う必要も

Question結局、
デフレをどうすべきでしょうか?

Answer年1%程度の緩やかなデフレ(物価下落)が、それほど耐えがたい水準とは思えません。消費者にとっても悪いことではなく、十分受け入れられる水準でしょう。その水準で不良債権がどんどん拡大してしまいつぶれる企業は、年1%のインフレでもつぶれると思います。

 デフレ自体よりも問題は、デフレが不況や企業倒産や失業に直結したり、デフレが新しい産業の創造を阻害《そがい》してしまうことです。

 それを避けるためには、第一に、カネがダブついているのに必要なところに回らないという現在の金融システムを立て直すこと。第二に、デフレ状況でも収益を上げることのできる強い産業や企業をつくることが必要で、規制緩和や構造改革を今以上に進めることでしょう。

 もうすぐ日本の人口は減り始め、右肩上がりの時代が本当に終わります。私たちには、インフレ・成長至上主義を捨て、デフレとじっくり付き合っていく生き方こそが、求められているのかもしれません。

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