●初出:月刊『潮』2002年7月号「市民講座」●執筆:坂本 衛
印パ紛争が深刻だとニュースで聞きました。
どういうことですか?
南アジアの中心を占めるインドは、人口が10億2700万人(2001年)と中国につぐ世界第二位の大国です。
パキスタン(正式名称はパキスタン・イスラム共和国)はそのインドの西側、アフガニスタンとインドにはさまれた国で、人口はおよそ1億4300万人です。
この二つの国は、インドがヒンドゥー教中心、パキスタンがイスラム教中心で、昔から仲が悪く、これまでに3回の戦争を戦っています。とくに、インドの北の端にカシミールと呼ばれる地方がありますが、この地域をめぐる「カシミール紛争」の火種が絶えません。
もともと仲が悪いインドとパキスタンが、今回、一触即発の危機すら叫ばれる緊張状態に入ったのは、2001年12月のインド国会襲撃事件がきっかけでした。
これは5名の武装グループが国会を襲撃し、銃撃戦のすえ武装グループ全員とインド側治安関係者7名が死亡した事件。インドは、カシミールのイスラム過激派が引き起こしたものと断定し、パキスタンに過激派への支援を止め、厳しい措置を取るよう要求。駐パキスタン大使の召還し、カシミール地方はじめ印パ国境沿いに軍隊を集結させました。
パキスタン側もさすがに事件を強く非難し、過激派組織の指導者や活動家数百名の拘束、事務所の一斉取り締まりなどを実施したものの、やはり外交上の対抗措置をとり、軍隊を国境に集めたため、緊張は一気に高まりました。
その後インド国内でイスラム過激派による襲撃事件が再発すると、インドでは「何も改善されていない」との怒りが噴出。両国は、最近では1998年5月に相次いで核実験をおこなった事実上の核保有国で、インドの非難に対してパキスタンがミサイル発射実験で応えるなど、事態は一層エスカレートしてしまいました。
国際社会は両国に対して緊張緩和と対話再開を働きかけ、アメリカのブッシュ大統領、ロシアのプーチン大統領らが自制をうながしたほか、米アーミテージ国務次官補、英ストロー外相らが現地入りして説得。現在では、やや小康状態を迎えています。
カシミール紛争は、
どうして始まったのですか?
これを説明するには、印パ両国の歴史をさかのぼらなければなりません。
南アジアは16世紀にムガール帝国という国でしたが、イギリスが1600年に「東インド会社」を設立してからは、その植民地支配が進みました。19世紀の半ばに大規模な反乱(セポイの乱)にあうと、イギリスはムガール帝国時代の藩主に封建的な土地所有を認め、それと引き替えにイギリス側に寝返らせる「分割統治」方式に移行します。
20世紀に入ると、独立運動はマハトマ・ガンジー率いるヒンドゥー系のインド国民会議派と、ジンナーに率いられるイスラム系の全インド・ムスリム連盟に分裂。第二次世界大戦後の1947年に、イスラム教徒が多く住んでいた地域は東・西パキスタン(現在のバングラディシュとパキスタン)として、中央部でヒンドゥー教徒が多く住んでいた地域はインドとして、イギリスから独立しました。
ところで、独立のとき、500ほどあった藩主の国は印パどちらに属するか自分たちで決めてよいことになったのですが、カシミールの藩主はどちらにも属さず「カシミール独立」を狙いました。
カシミールはイスラム教徒が多い(人口の70%)地域なので、パキスタンは自国側に引き入れようと出兵。すると藩主はインドに帰属することと引き替えにインド軍の支援を求め、第一次印パ戦争が勃発《ぼっぱつ》しました。その後1965年には、やはりカシミールでの衝突から第二次印パ戦争が起こっています(いずれも国連が仲裁に入り停戦)。
こうした経緯から、インドに属するにもかかわらず、イスラム教徒が多いカシミールでは、独立・抵抗運動が続いています。これを鎮圧するためにインドは軍隊を置き、住民を弾圧してきました。しかも国境の両側に印パ両軍がへばりついていますから、互いに大砲を撃ち合うくらいのことは、珍しくなかったのです。
では、もう半世紀も、
紛争は続いているわけですね?
そうです。途中の1971年には、東パキスタンで独立の動きが起こります。東・西パキスタンは同じイスラム教徒でも民族が違い、あまり仲がよくありません。そこでインドは、内乱状態の東パキスタンに電撃的に軍事介入。これが第三次印パ戦争で、インドは東パキスタンを「バングラディシュ」として独立させてしまいました。この戦争はわずか2週間で終わり、パキスタンは国の東半分(面積にして2割、人口では6割)を失ってしまったのです。これはパキスタンに大国インドの深刻な脅威を見せつけた出来事といえます。
その後、インドは1974年にインドが核実験を成功させます。これは、中国と国境紛争をかかえるインドが中国を北の脅威と考えたからですが、これに対抗してパキスタンも核兵器開発に着手。互いに事実上の核保有国(ただし、どちらも核兵器の完成品を持っているのではなく、組み立て可能な部品として保有しているといわれています)となったところで、核の抑止力も発揮され、印パ戦争は30年近く起こりませんでした。
そこに、2001年9月の同時多発テロに象徴されるイスラム過激派のテロ路線が刺激を加えた形です。インド国会を襲撃したイスラム過激派が、ビンラディンやタリバーン政権と似た路線であることは確か。パレスチナでも激化しているテロ攻勢が、今回の印パ紛争激化の背景の一つであることは、間違いないでしょう。
核保有国同士の対立が心配ですが、
見通しは?
印パ両国とも核兵器の管制システムもなければ、核兵器の運用に関する明確な宣言(ドクトリン)も出していません。つまり、いつでも攻撃に使える核兵器を配備しているわけではないのです。アメリカは双方が核を使えば1200万人の犠牲者が出ると警告しましたが、これは世界の警察を自認するアメリカらしいアピール。実際に核兵器を使うほど、両国とも愚かとは、とても思えません。
また、印パ双方にとってカシミール紛争は、かえって存在したほうがありがたいのだという説もあります。両国とも国内の矛盾から国民の目をそらし、国民を団結させるために紛争が必要で、その意味では本気で解決するつもりはなく、一種馴れ合っているという見方。だとすると過激派のテロだけは、双方にとって誤算ということになります。
いずれにせよインドもパキスタンも、国際社会でそれなりの役割を果たし、また貿易なり援助なり他国から役割を果たされつつ存在しています。アメリカはじめ各国の意向を無視できるほど孤立しているわけではなく、各国の硬軟織り交ぜた説得に応じざるをえないでしょう。いたずらに核戦争の危機に脅える必要はないと思います。
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