更新:2006年9月30日
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イラク暫定政権

●初出:月刊『潮』2004年8月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

イラク暫定政権とは?

Questionイラク暫定政権が発足したと聞きました。
どういうものなんですか?

Answerイラク暫定政権とは、2004年6月1日に発足したイラク新政権のこと。暫定《ざんてい》は「本式な決定でなく、しばらくの間、臨時に定める」との意味です。

 イラクのフセイン政権が大量破壊兵器に関する国連査察に応じなかったことに対して、アメリカがイギリスと組んでイラク戦争に踏み切ったのは2003年3月20日。米英軍は4月9日までに首都バクダッドをほぼ制圧し、フセイン政権を崩壊させました。5月1日には米ブッシュ大統領が大規模戦闘の終結を宣言。この時点でイラク戦争はひとまず終わり、イラク占領という新しい段階に入りました。

 イラクを占領統治したのは、アメリカが中心となって設置した連合軍暫定当局(CPA)。ここで注意しなければならないのは、イラク政府は降伏も武装解除もせずに、ただバラバラに壊れてしまったことです。イラク国軍の大部分は降伏しましたが、共和国特別防衛隊(フセイン大統領の警護隊)のように武器を持ったまま姿を消した勢力もありました。

 占領するにも相手の政府が存在しないのでは話になりませんから、CPAは2003年7月、「統治評議会」という暫定的な立法・行政機関を作りました。メンバーは反フセイン派主要7組織の代表や宗教指導者など25人。この統治評議会が、暫定的に閣僚を任命し(2003年9月)、暫定的な憲法の性格をもつイラク基本法(2004年3月)を採択しました。

 今回のイラク暫定政権は、この統治評議会に代わるもので、発足と同時に統治評議会は解散しました。暫定というのは、今後、新憲法を作り、総選挙をへて恒久政権ができるまでの臨時政権という意味です。2004年6月30日には、CPAがこの暫定政権に対して主権を移譲する予定です。

イラク宗教指導者も容認

Question統治評議会と暫定政権の違いは、
どのような点でしょうか?

Answerどちらも暫定的な存在であることは同じですが、統治評議会はCPAの下にあって、アメリカの強い影響を受けていました。統治評議会に国家主権はなく、メンバーも亡命していた親米の反体制派指導者などで、イラク人には受けが悪かったのです。

 イラクの治安情勢は、統治評議会ができた2003年7月頃から悪化し始め、秋以降はブッシュ大統領が「終わった」と宣言したはずの大規模戦闘が再開されたような様相を呈してきました。そこでアメリカは、より正統性のあるイラク人の暫定政権を樹立し、これに国家主権を移譲することで、イラク復興の道筋を確実にしようと考えたわけです。そのために国連が暫定政権のメンバーを選ぶという形式を取りました。

 これに一役買ったのが、アナン国連事務総長のイラク問題特別顧問であるブラヒミ氏。ブラヒミ特別顧問の構想は、新しい暫定政権を直接選挙を準備する「選挙管理政権」「テクノクラート(実務者)内閣」と位置づけ、アメリカ色を薄めると同時に役割をできるだけ限定的なものにするというものです。イラクの人びとにとって真に正統性のある政府は、選挙をへて登場する本格的な政権だけだから、それができるまでは重要な決定はしないでおこうという考え方で、国連は3月のイラク基本法(連邦制の採用など選挙後の政治体制まで規定しています)の制定にも反対でした。

 ところが、実際に誕生したイラク暫定政権はブラヒミ特別顧問(つまり国連)の構想とは違い、首相や正副大統領に旧統治評議会系の政治家が就任するなど、統治評議会やアメリカの意向が強く反映されたものになっています。イラクでは「実態は統治評議会のコピー」と酷評する声も上がりました。

 もっとも、多数派であるイスラム教シーア派の最高権威アリ・シスタニ師は6月3日、「選挙による正統性を欠く」としながらも、発足自体は「正しいステップ」と原則的に容認する考えを示しています。暫定政権は現実的な選択としてイラク国民にも受け入れられたと見てよいでしょう。

2005年1月までに選挙

Question今後のイラクの国づくりは、
どのように進む見通しですか?

Answer6月末に暫定政権に主権が移譲され、形式的にはCPAによる占領統治は終了(CPAは消滅)します。その後7月中に、国連が主導して広くイラク人の声を吸い上げる「国民会議」を開催し、「諮問評議会」を設置。2005年1月31日までに国民議会選挙を実施。ここで成立した「移行政権」が新しいイラク憲法を起草。2005年12月31日までに、新憲法に基づくイラク政府を発足させるというのが、いま想定されているスケジュールです。

 国連の安全保障理事会は6月8日、「連邦制に基づく、民主的かつ複数政党制を取る統一イラクの構築に向けて取り組む、イラク暫定政権の決意を歓迎する」とするイラクに関する新決議1546を全会一致で承認し、右の政治日程も確認しました。9日には主要8か国(G8)首脳会議(シーアイランド・サミット)に暫定政権のヤワル大統領が登場し、「国際デビュー」を果たしました。つまり、国際社会が一致して暫定政権を承認したわけです。

 もっとも、今後の展開は予断を許しません。アメリカは「イラクでのテロは増える」「多くの試練があるだろう」(6月1日ブッシュ大統領会見)との厳しい見方を示しています。イラクの治安を維持するために米英軍(有志連合から多国籍軍と位置づけは変わりましたが、相変わらず仏独ロは不参加)が駐留を続けることも変化なし。イラク暫定政権に主権が「完全に」移譲されれば、多国籍軍はイラク国内で勝手なことはできないはずですが、アメリカはいざというときは独自に行動する意向をほのめかしています。

 選挙をするにはイラク全土で選挙人登録が必要で、早い話が全国民の数を数え直し名簿を作らなければなりませんが、半年やそこらで間に合うかどうかも大きな懸念材料です。イラクは、ただでさえさまざまな宗派や民族・部族が入り乱れた複雑な社会。そこにフセイン政権が数十万人単位で虐殺し、米英軍が大規模作戦を行い、テロリストが潜入して、憎悪の感情がひしめいていますから、混乱は長く続くでしょう。

民主化が狙いだが

Questionアメリカのイラクに対する狙いは、結局
何なのでしょうか?

Answerブッシュ大統領は、今回のサミットで「拡大中東地域」の自由・民主主義、繁栄の強化への支援を主張し、政治宣言にも盛り込みました。拡大中東地域とは、パキスタンから北アフリカまでイスラム・アラブ諸国が東西に連なるベルト地帯。アメリカがこの地域(イラクはその真ん中にあります)を親米化したいという構想は、以前から知られていました。

 とりわけ2001年「9・11」以降ブッシュ政権で勢いをもったネオコン(ネオ・コンサーバティブ=新保守派)と呼ばれる一派には、民主主義を「伝道」するような意識があり、イラクを手始めに中東地域に「民主主義のドミノ」を引き起こすという考え方がありました。だから、イラク戦争の狙いはフセイン政権を倒して民主的な国を作ること。背景には、イスラム世界に対する漠然とした怖れの感情もあったでしょう。

 けれども、サウジアラビアは「サウード家のアラビア」という名前の王国ですし、UAEもアラブ「首長国」連邦。こういう国々で民主化をとことん進めれば王政は倒れ、国は混乱してしまいます。それはおせっかいというものでしょう。イラク戦争は「出口」が見えないままに始めた戦争で、占領政策の見通しが甘すぎたことも否定できません。アメリカは、これまでの強引なやり方を軌道修正すべきであると思います。

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