更新:2008年8月16日
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核廃棄物海洋投棄

●初出:月刊『潮』1994年1月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

投棄廃棄物は約九〇〇トン

Questionロシアが日本海で核廃棄物を投棄して
問題になりましたね。詳しく教えてください。

Answerはい。ロシア海軍のタンカー「TNT−27」は、一九九三年十月十七日、ウラジオストクの南東約二〇〇キロメートルの日本海に液体放射性廃棄物を投棄しました。捨てたのは、解体された原子力潜水艦で使っていた原子炉冷却水など約九〇〇トンと見られています。同船は、固体放射性廃棄物も、投棄できるように積み込んでいましたが、こちらは捨てずに持ち帰りました。

 この海洋投棄は、国際的な環境保護団体として有名なグリンピースが調査船を出し、終始監視していました。グリンピースが付近の大気中の放射能を測定したところ、通常の一〇倍から七〇倍の放射能が検出されたそうです。

 これに対して外務省は十月十九日、ロシア駐日大使を呼び「極めて遺憾」と抗議するとともに、「日本には、放射性廃棄物問題でとくに強い国民感情がある」として投棄の中止を要請しました。被爆体験をもつ広島市や長崎市、被爆者団体、環境保護の市民団体、日本海沿岸の自治体なども相次いでロシアへ抗議。アメリカも投棄中止を要請しました。この直後に二回目の海洋投棄を予定していたロシアは、日本をはじめとする国際世論の非難を受けて投棄中止を決定したのです。

 なお、グリンピースが事前に察知し、ロシア船を追跡して事態を見届けなければ、今回の放射性廃棄物の海洋投棄は、最後まで明るみに出なかったと思われます。グリンピースは、ボランティアが支える非政府組織(NGO)。海外のNGOが事前に行動を起こしていたのに、日本政府が情報収集を怠り、彼らに知らされるまで気づかなかったのは、なんとも情けないことでした。今回の事件は、この種の問題についての外務省や科学技術庁の情報収集力不足を、はっきり露呈させたといえます。

Question核廃棄物による汚染の危険性は、
心配ないでしょうか?

Answer今回捨てられたのは「低レベル」に属する放射性廃棄物。科学技術庁の防災環境対策室では、過去にロシアが投棄した際の調査結果などから見ても、日本への直接的な影響は考えられないとしています。九〇〇トンといっても、捨て場所は日本から離れているし、広大な日本海に拡散するのです。日本海の魚に影響を与えたとしても、放射能の増加分は検出できないほど微量だろうともいわれます。もちろん、だからといって投棄が許されるものではありません。日本海の魚をすべて調べることはできませんから、「たぶん安全であろう」という以上のことは誰にもいえないのです。

原子炉まで海洋投棄

Questionロシアは、なぜそんな物騒なものを
日本海に捨てたのですか?

Answer海洋投棄はエリツィン大統領の訪日直後だったため、なぜこんな時期にという声も上がりました。しかし話は単純で、ただ処理に困って海に捨てたというのが真相です。ロシア当局者によると、放射性廃棄物を港のタンカーに貯蔵していたが、船が老朽化し、暴風雨でも来れば沈没して湾内を汚染しかねなくなって、捨てたのだそうです。あるいはタンカーが一杯になってしまったのかもしれません。

 ロシアは現在、旧ソ連の軍拡時代にさんざん作った兵器の処理に手を焼いています。アメリカとの戦略兵器削減条約がありますから、原子力潜水艦や核ミサイルなどを大量に廃棄処分しなければならないのです。しかし、第一にカネがなく、第二に処理技術がありません。そこで核のゴミのうち比較的低レベルのものは、手っ取り早く海に捨てることになります。

 それに、放射性廃棄物の海洋投棄は、いまに始まったことではありません。一九六六年から九一年までに、原潜の原子炉を丸ごと二つ捨てたのをはじめ、低〜中レベルの固体廃棄物だけでも容器にして七〇〇〇個近く捨てているのです。廃棄物を載せて沈めた船は三八隻。液体廃棄物は、昨年だけで約一六〇〇トンも投棄しています。このうち原子炉の放射能は、今回のような液体廃棄物とはレベルがまったく違います。どのような封じ込め方をしているかにもよりますが、長期的には環境破壊の恐れが否定できません。これについては投棄場所を特定し、定期的に調査する必要があります。

海洋投棄は過去に日本も

Questionロシアは、かつて日本も捨てていたではないかといい、
韓国のマスコミもそのことを大々的に報じたようですが、本当ですか?

Answerはい、本当です。日本政府は、一九五五年から六九年にかけて、医療用を中心にドラム缶一六六一本分の放射性廃棄物を、相模湾や房総沖などに投棄しています。また、八〇年代初めには、原子力発電所から出る低レベルの放射性廃棄物を南太平洋に捨てようと計画したことがあります。これは周辺各国の抗議で中止されました。

 ただし、韓国などで報じられたのは、日本の原子力発電所が放射性廃棄物を海に捨てているという話で、これには誤解もあったようです。というのは、原子力発電所や使用済み核燃料再処理工場では冷却水や洗浄水など低レベルの放射性廃液が出ますが、これは放射能除去フィルターなどで処理した後に、海に捨てられているのです。この処理済み廃液とロシアが海洋投棄した液体廃棄物に含まれる放射線では、種類やエネルギーが違い、自然や人体への影響が異なります。この違いを無視して、同じ海洋投棄ではないかという議論には、難があります。

 しかし、海に囲まれ国土の狭い日本が、低レベル放射性廃棄物の海洋投棄に対して、反対ではなく、むしろその可能性を検討するというスタンスを取ってきたことは事実。この問題は、一九七五年のロンドン条約(正式には「廃棄物その他の物の投棄による海洋汚染の防止に関する条約」)で規制され、八五年の締約国会議では放射性廃棄物の海洋投棄の一時停止(モラトリアム)が決議されています。つまり事実上禁止されているのですが、この決議のとき日本は棄権に回りました。そうしたこれまでの日本の立場は、今回の事件ではっきり転換を迫られたといえます。

ロンドン条約は改正へ

Question今後は、日本も投棄反対の立場を
鮮明にするということですね?

Answerはい。先日開かれたロンドン条約の締約国会議は、低レベルを含む放射性廃棄物の海洋投棄の全面禁止を盛り込んだ条約改正案を採択しました。今回は日本は賛成に回り、反対はゼロで、英・仏・中・ロシア・ベルギーの五か国が棄権でした。禁止は二五年ごとに見直すことになっており、条約は一〇〇日後までに発効します。それまでに「受け入れられない」と申し立てた国に対しては拘束力がありません。ロシアが受け入れ拒否を表明して、今後も海洋投棄を続ける可能性は残されています。

 しかし、放射性廃棄物の海洋投棄は、拡散によって他国にまで影響を与える、廃棄物の監視が困難、一度捨てたら回収が困難などの問題があることは、ロシアも理解しているはず。

 すでにロシアは日本に対して、放射性廃棄物処理のための資金援助や技術協力を求めています。また、日本も九三年四月、核解体援助に一億ドルを提供することを約束しています。この援助をある程度増やしてでも、ロシアの海洋投棄はやめさせるべきでしょう。もっともロシアの捨てている廃棄物には、解体した原潜だけでなく現役の原潜から出る廃棄物も入っています。まとめて処理に手を貸せば、間接的にロシア軍を援助することになりかねません。このやっかいな問題は、まだまだ尾を引きそうです。

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