更新:2008年8月6日
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加熱製剤

●初出:月刊『潮』1996年11月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

QuestionHIV訴訟を伝えるニュースに「加熱製剤」
という言葉が出てきます。どういうことですか?

Answerニュースに最近よく登場する「加熱製剤」や「非加熱製剤」は、ヒトの血液を原料としてつくられた「血液製剤」に、加熱処理がしてあるかどうかを意味します。

 血液製剤とは、さまざまな成分が含まれるヒトの血液を、効率よく医療に利用するためつくられた製剤。血液を、赤血球、血小板、血漿《けっしょう》といった成分に分けてつくる製剤のほか、血漿からつくられる製剤に、血友病治療因子、フィブリノーゲン、グロブリン、アルブミンなどがあります。

 血液から何種類もの製剤をつくって投与すれば、同量の血液を輸血した場合に比べて、数倍の患者を救うことができるといわれています。

 ところで、ケガなどで出血すると、血が固まって自然に止まりますね。これは血液に、いわばノリの働きをする血液凝固因子が含まれているからです。この凝固因子が生まれつき不足している病気が「血友病」。根本的な治療法がなく、他人の血液から凝固因子を補給し続けなければならない難病です。

 血友病の治療には一九六〇年代半ばから「クリオ製剤」が使われてきました。これは血液の一成分である血漿を凍結させ、徐々に解凍したときにできる沈殿物を取り出したもの。少人数の血液からつくられるため感染症の危険性は低いのですが、取り扱いが大変面倒でした。

 そこで、一九七八年ころから、多数(二〇〇〇〜二万人分)の血液を集めてつくる血液製剤が用いられるようになりました。患者が自分で注射する家庭療法ができ、効き目もよく、血友病治療の主流となったのです。ところが、患者に大きな恩恵をもたらすはずの新しい製剤が、大変な悲劇を招いてしまったのでした。

血友病患者の四割が感染

Question非加熱の血液製剤が
使われたからですね?

Answerはい。血友病に用いられた血液製剤は、非加熱製剤で、原料も製品も、ほとんどがアメリカからの輸入に頼っていました。これは、多くの血液を集めてつくりますから、血液を提供した人が一人でもウイルスを持っていると、血液製剤すべてがウイルスに汚染され、使った人がそのウイルスに感染する恐れがあります。

 こうして日本の血友病患者は、当時はまだ知られていなかったHIV(ヒト免疫不全ウイルス)、つまりエイズウイルスに、つぎつぎと感染していったのです。

 血友病患者は日本に四二〇〇人ほどいると考えられていますが、実にその四割、約二〇〇〇人がエイズに感染しました。残念ながら、このうち四〇〇人近くがすでに亡くなっています。

 海外では、エイズは主として性的接触を介して感染しますが、日本人のエイズ患者は、三人に二人が血友病患者であり、血液製剤の犠牲者です。このため海外からは「日本型エイズ」と呼ばれています。

 なお、血液製剤の犠牲者の多くは血友病またはその類縁疾患の患者ですが、血友病以外にもエイズウイルスの感染例があります。九五年七月に明らかになった厚生省の調査によると、エイズウイルスに汚染された可能性のある非加熱製剤が、一九八七年以前に、少なくとも一八八人以上の血友病ではない子供に、投与されています。子供の病気は新生児出血症や激症肝炎などです。

 もっとも、これは小児科医療施設に対するアンケート結果から推測した数字。アンケートに答えない病院や、古いことでわからないという施設もありますから、汚染された可能性のある非加熱製剤を実際に投与された子供の数は、数百人規模にのぼるものと思われます。

アメリカでは八二年に警告

Questionなぜ、そんな恐ろしい非加熱製剤が、
野放しにされたのですか?

Answerアメリカで、男性同性愛者の免疫不全による死亡が初めて報告されたのは一九八一年六月でした。八二年七月には、アメリカで血友病患者の発症が明らかになり、九月には、この未知の難病が「エイズ」と命名されました。さらに十二月には、アメリカ血友病財団が「血液製剤によるエイズ感染の危険を血友病患者やその家族に知らせるべき」と勧告を出しています。

 ですから、アメリカでは一九八二年暮れの段階で、非加熱の血液製剤とエイズウイルスの関係が強く疑われていたわけです。その後アメリカでは、八三年三月に、ウイルスを不活性化するために加熱処理をした血液製剤が承認されています。

 ところが、日本の医薬行政を担当する厚生省の対応は遅きに失しました。厚生省の薬務局生物製剤課が、非加熱の血液製剤とエイズウイルスの関係を「研究」するために、専門家によるエイズ研究班をつくったのは八三年六月。この時、研究班に参加した医師も厚生省の官僚も、右のようなアメリカでの動きをすべてつかんでいました。にもかかわらず、厚生省は緊急の対策を何一つ打ち出せませんでした。

 厚生省は、危険な非加熱薬剤の輸入をやめるどころか、非加熱製剤がエイズウイルスに汚染されているかもしれないと、医師や患者に注意をうながすことすらやっていません。製薬会社も、自分のところの非加熱製剤がエイズウイルスに汚染されている可能性を知りながら、平然とこれを輸入し売り続けました。

 こうして日本では、危険な非加熱製剤が使われ続けました。厚生省が加熱製剤の製造や輸入を承認したのは八五年七月で、アメリカに遅れること二年以上。しかも、非加熱製剤の回収を製薬会社に義務付けなかったために、なんと八七年までエイズウイルスに汚染された可能性のある血液製剤が使われ続けるという事態を招いてしまったのです。

HIV訴訟のゆくえは

Question何の罪もない血友病患者たちは、
どのように救済されるのでしょう?

Answer非加熱製剤でエイズウイルスに感染した血友病患者などは、製剤を輸入した製薬会社五社と、輸入を承認した国を相手取り、一人あたり一億一五〇〇万円の損害賠償を請求して訴訟を起こしています。これを、HIV訴訟と呼んでいますが、八九年の初提訴以来九五年までに、二一九人の原告のうち実に九三人が亡くなりました。

 この訴訟では九五年十月、東京と大阪の地方裁判所が和解勧告を出し、薬務行政の対応の遅れを厳しく批判。国は和解に応じる方針で患者に謝罪したほか、被告の製薬会社も和解にむけて重い腰を上げようとしています。

Question被害者に、できる限りの補償をすることは当然ですが、このような薬害を起こさないためには今後どうしたらよいのでしょう?

Answerまず、今回のエイズ薬害は、担当者の判断ミスといったレベルの問題ではなく、日本の医療システム全体がかかえる構造的な問題から生じたのだと、はっきり確認しておく必要があると思います。

 構造的な問題とは、医療行政をつかさどる厚生省、実際に医療をおこなう医師や病院、医薬を製造し販売する製薬会社など、官と民が、何十年もの間、闇に包まれたもたれ合いシステムをつくってきたこと。これが患者不在のシステムであることだけは、はっきりしています。

 厚生省は、エイズ研究班の医師たちにまかせて自ら判断をしない。研究班の医師は、役所の意向には逆らえないと逃げ道をつくる。製薬会社は、厚生省から天下りを受入れ、政治家や大学教授や医師にカネを渡して、都合のよい薬を売ろうとする。こうしたなれ合いと無責任が、日本の医療システムの最大のガンなのです。

 これは、大蔵省の護送船団方式、建設省の談合システムなどと同じく、官僚と民間企業による国民不在の癒着の構造です。この構造を壊して新たなシステムを構築しなければ、私たちの国に未来はないとすら思います。

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