更新:2008年8月16日
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教育基本法

●初出:月刊『潮』2001年3月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

Question教育基本法の見直し論議があるようですが、
この法律について教えてください。

Answer「教育基本法」は、第二次世界大戦が終わった翌々年の一九四七年三月、学校教育法とともに公布された法律です。

 それまでの日本の公教育の基本は、一八九〇年(明治二三年)に発布された「教育勅語」《きょういくちょくご》でした。これは「朕惟《ちん おも》フニ我カ皇祖皇宗国ヲ肇《はじ》ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ」に始まり、「爾《なんじ》臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ夫婦相和シ朋友相信シ」「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮《てんじょうむきゅう》ノ皇運ヲ扶翼《ふよく》スヘシ」と続きます。

 ようするに「代々の天皇が国を建て、徳を重んじてきた」に始まり、「お前たち臣民は親孝行し、兄弟仲良く、夫婦喧嘩もせず、友だちは信じ合い」「緊急の事態があれば、正義のために奮い起こす勇気を国にささげ、天地のように永遠に続く天皇を助けなければならない」というのです。戦前の日本の子どもたちは、この教育勅語を暗唱させられ、滅私奉公の精神をたたき込まれました。

 しかし、敗戦によって日本に民主主義がもたらされると、教育勅語は新しい国の体制とはっきり矛盾する存在となります。もちろん占領軍の指令もありましたが、何より軍国主義教育に対する教育関係者の反省が大きかったのです。

 そこで、一九四六年六月に田中耕太郎・文相が教育基本法の構想を発表。八月に吉田茂首相の諮問機関として発足した「教育刷新委員会」(初代委員長は安部能成・元文相、当初のメンバーは三八名)でも、安部元文相をはじめ天野貞祐・旧制一高校長、務台理作・東京文理大学長、小宮豊隆・東京音楽校長らが、新しい基本法の作成作業に着手しました。

 こうして生まれたのが「教育基本法」です。前文と一一か条からなるごく短いものですが、教育に関する基本理念が書かれた法律として、「教育憲法」とも呼ばれてきました。

 なお、教育勅語は一九四八年六月、衆議院で排除決議、参議院で失効確認の決議が行われています。

日本国憲法の精神にのっとり

Question教育基本法の内容を
説明してください。

Answer教育基本法は前文で次のように述べます。

 「われらは、さきに、日本国憲法を確定し、民主的で文化的な国家を建設して、世界の平和と人類の福祉に貢献しようとする決意を示した。この理想の実現は、根本において教育の力にまつべきものである。

 われらは、個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期するとともに、普遍的にしてしかも個性豊かな文化の創造をめざす教育を普及徹底しなければならない。

 ここに、日本国憲法の精神に則り、教育の目的を明示して、新しい日本の教育の基本を確立するため、この法律を制定する。」

 ついで第一条で、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期しておこなわれなければならない」と教育の目的を宣言。第二条で「教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない」と教育の方針を述べます。

 以下は、第三条に教育の機会均等(と教育上の差別の禁止)、第四条に義務教育(国民は保護する子女に九年間の普通教育を受けさせる義務があり、公立校は授業料を徴収せず)、第五条に男女共学(を認める)、第六条に学校教育(学校は公のもので、国、地方公共団体、学校法人だけが設置できる)と教員の地位の保障、第七条に社会教育(の奨励)、第八条に政治教育(政治的教養の尊重と、特定の政党を支持または反対する政治教育の禁止)、第九条に宗教教育(宗教の尊重と、公立校の特定の宗教教育の禁止)、第一〇条に教育行政(教育は不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われる)を定めています。なお第一一条は補則です。

成立直後からあった改正論

Questionその教育基本法の、どこをどう改正すべき
という話が出ているのですか?

Answer実は、教育基本法の改正論議は、成立直後からありました。

 自由民主党などが問題にするのは、まず、前文で憲法の付属法的な地位が明示されていることです。教育基本法には「日本国憲法の精神に則り」と書いてあるのですから、憲法は占領軍からの押しつけだと考える憲法改正論者は、当然改正すべきだと思うでしょう。

 また、戦前の教育勅語にあった「親孝行」など道徳的な内容が盛り込まれていない、個人の権利が強調されすぎ国をはじめ公共的な価値を重んじる考え方がない、日本独自の文化に対する視点がない、といった批判もあります。

 たとえば中曽根康弘・元首相は、在任中の一九八四年に臨時教育審議会で教育基本法の改正に取り組もうとしたことがあります。このときは戦前回帰、復古主義、時代錯誤といった反発が強く、見送られました。

 ところが最近、いじめ、不登校、学級崩壊、非行など、子どもや青少年をめぐる問題がクローズアップされてきた結果、戦後の教育のマイナス面が指摘され、教育改革の必要性が叫ばれるようになりました。そこで、小渕恵三・前首相は二〇〇〇年三月に首相直属の私的な諮問機関「教育改革国民会議」(座長は江崎玲於奈・芝浦工大学長)を発足させています。これを引き継いだ森喜朗首相も、教育改革に熱心な姿勢を見せています。

 同国民会議は、二〇〇〇年九月に中間報告を出し「意見の集約は見られない」としたのですが、一一月の加藤政変を乗り切り内閣改造を手がけた森内閣で、教育基本法の改正論が息を吹き返してきました。一二月に出た最終報告は、「新しい時代にふさわしい教育基本法を」と、見直しに踏み込んだ内容となりました。同時に報告は、家庭教育の重視、道徳教育の重視、奉仕活動の導入、一律主義の見直し、大学入試の多様化など、一七項目の提案をしています。

拙速は避け、国民的な議論を

Question今後、議論は
どうなるのでしょう?

Answer森内閣は、二〇〇一年一月からの国会を「教育改革国会」とし、夏の参議院選にむけて教育論議を活発化させたかったようです。

 しかし、教育基本法の見直しを提言した教育改革国民会議のメンバーにも、「教育改革は必要だが、なぜ基本法改正が必要なのかわからない」「自分は反対した」「最初に結論ありきだった」と口にする人がいますから、これはいかにも拙速《せっそく》。教育は国家百年の大計といいます。教育問題を政争の具にしないためにも「KSD国会」で混乱しそうな時期は避け、二年でも三年でもゆっくり時間をかけて、国民的な議論を積み重ねていくべきではないでしょうか。

 それに、読んでおわかりのように、教育基本法は理想主義的ですが、とてもよいことが書いてあります。少なくとも、最近の青少年問題がこの基本法のせいだというのは、まったくの誤りです。問題は、基本法が掲げる「個人の尊厳」「個性豊かな文化の創造」「真理と正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成」が達成されていないこと。改正の前に、その問題を真剣に考えるべきだと思います。

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