更新:2008年8月16日
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生活大国五か年計画

●初出:月刊『潮』1992年9月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

戦後一二回目の経済計画

Question政府の「生活大国五か年計画」が打ち出されましたね。
ねらいや問題点を知りたいのですが。

Answerはい。「生活大国五か年計画──地球社会との共存をめざして」は、総理大臣の諮問機関である経済審議会(会長は平岩外四・経団連会長)が議論を重ね、取りまとめたもの。一九九二年六月末、宮沢首相に答申が提出され、閣議決定により政府の正式な「経済計画」として採用されました。

 経済計画というのは、政府の中期的な経済運営の指針となる計画で、そのときどきの政府が重要と考える政策課題や手段、目標とする経済のあり方などを示します。経済審議会が作成し、政府が閣議決定するのが慣例です。中期的というから計画には数年(五年が多い)の幅がありますが、毎年フォローアップ(事後点検)して、盛り込まれた目標の達成度をチェックすることになっています。

 戦後初の経済計画は一九五六年に始まった「経済自立五カ年計画」。もっとも知られているのは六一年に池田内閣が掲げた「国民所得倍増計画」でしょう。今回の計画は、竹下内閣のもと対外不均衡の是正や国民生活の充実をうたった「世界とともに生きる日本」に続くもので、期間は九二年度から九六年度まで。戦後一二回目の経済計画に当たります。

「生活大国」とは何か?

Question計画のタイトルにある「生活大国」とは、
どういう意味でしょうか?

Answer計画では「生活大国」を、(1)一人一人が豊かさとゆとりを日々の生活の中で実感できる、(2)多様な価値観を実現できるための機会が等しく与えられている、(3)美しい生活環境の下で簡素なライフスタイルが確立されている、の三つの条件が備わった社会であると定義しています。そして、そのような社会を実現するためには「政府の役割だけでなく、国民や企業の努力も欠かせない」と民間の協力を求めています。

 定義のうち、(3)の「簡素な」という言葉がかなり説教臭い感じですけれど、いいたいことはわかります。わが国は、かつての経済計画が所得倍増──家計に入るおカネを二倍に増やすこと─を掲げたように、もっぱらカネで計られる成長を目指し、「経済大国」と呼ばれるまでに発展してきました。その結果GNP(国民総生産)は世界第二位、一人当たりではアメリカをはるかに抜き世界トップクラス。おカネという物差しで計る限り、日本は確かに豊かになりました。

 しかし、私たち一人一人は本当に豊さを実感しているのでしょうか。カネではなく生活という物差しからすれば、実現すべき課題はまだまだ多いと思われます。カネという単一の価値で豊かさを計り、多様な価値観を見落としてきたことも強く反省すべきでしょう。だから、いまこそ「経済大国」にかわって「生活大国」を実現する必要がある──今回の経済計画がいわんとしているのはそういうことです。

時短と住宅の二大目標

Question計画の具体的な
中身は?

Answer今回の計画の目玉は、「年間総労働時間一八〇〇時間の達成」と「年収の五倍で住宅を取得できるようにする」の二大目標です。

 実は、労働時間を年間一八〇〇時間(九一年度実績は二〇〇八時間)に短縮することは、竹下内閣の五か年計画でも努力目標でした。「時短」は、企業経営者にとっても組合にとっても合い言葉ですし、とくに目新しい方向とはいえないでしょう。

 しかし、今回は「計画期間中に達成する」と強い表現で明示しています。さらに、完全週休二日制の普及促進のため労働基準法を改正して週四〇時間労働制(現行は四四時間制)へ移行すること、時間外・休日労働の法定割増率引き上げの具体的な検討、いわゆるサービス残業の防止、学校週五日制の段階的拡大などに言及していることも、これまでに例がありません。

 わが国の年間労働日は、欧米先進諸国に比べて少なくとも三週間から一か月以上多く、残業や通勤時間を考え合わせると、海外からの「働き過ぎ」批判に弁解の余地はありません。だから今回の計画は、欧米諸国の批判に応える国際的な公約という側面もあります。

Questionもう一つの目玉、
住宅については?

Answer現在、とりわけ大都市のサラリーマン家庭にとってもっとも切実なのが住宅問題でしょう。首都圏で新規に売り出された住宅の平均価格は、九一年で建て売りが七〇〇〇万円近く、マンションでも六〇〇〇万円近いといわれています。これは世帯年収のざっと一〇倍に近い高水準。バブルが始まる以前に無理をして家を買った(すでに買い替えの資産を持っている)とか親の家があるといったケースを除き、普通のサラリーマン家庭が首都圏で家を買うことは、ますます難しくなっています。

 計画では、東京など大都市圏で、勤労者世帯の平均年収の五倍程度を目安に良質な住宅の取得を可能とすることを目指し、総合的な土地対策を着実に推進し、住宅対策の充実を図るとしています。良質な住宅とは、通勤時間が一時間から一時間半程度のところにある広さ六五〜七〇平方メートル(二〇坪前後)のマンションです。アメリカの平均的な新築住宅(八九年で一六二平方メートル)の半分以下とささやかなものですが、年収の五年分まで価格を下げるには、これが精一杯というところでしょうか。

二七項目の整備目標

Question二つの目玉のほかに、
どんなことが書かれているのですか?

Answer今回の計画で目立つのは、生活大国の実現にむけてさまざまな数値目標を盛り込んでいることです。目標が整備率のパーセンテージや戸数などで具体的に掲示されれば、達成度がはっきりし、政府も「努力はしているが……」といった言い逃れをしにくくなります。生活関連社会資本の整備目標には、下水道処理率(おおむね二〇〇〇年に七割以上)、特別養護老人ホームの整備率(今世紀中に二四万人分)、歩いて行ける範囲の公園の普及率(市街地の場合で、九六年度約五九%)など、二七項目があげられています。

 もっとも、東京圏の鉄道の混雑率(ピーク時)という項目をみると、八九年の約二〇〇%から、おおむね二〇〇〇年に約一八〇%程度とあり、これは文庫本ならば読めるという混雑を、新聞が四つ折りでなんとか読めるという程度に改善するという数値なのです。一〇年かけてそうなったとして、豊かさやゆとりを実感する人がどれほどいるかは、おおいに疑問ですね。

 もうひとつ、サブタイトルにも取り上げられている地球社会との共存では、環境分野に対するODA(政府開発援助)を、九二年度から五年間にわたって九〇〇〇億円から一兆円をメドとして拡充・強化する、といった方針を打ち出しています。

実現への道は険しい

Question計画が達成される見込みは、
どの程度あるのでしょうか?

Answerそうですねえ。労働時間一八〇〇時間も、年収の五倍の住宅も、実現に相当な困難がともなうことは間違いないと思います。まず労働時間ですが、産業界では「計画が想定するGNP実質成長率三・五%程度と労働時間の短縮は両立しないのでは」という見方が強いようです。この人手不足の時代に労働時間を短縮すれば、成長率の鈍化は避けられないというのです。わが国は世界に例をみない急激で本格的な高齢化社会の到来を目前しています。高齢化を支える若い世代の負担が一層重くなることも、簡単に労働時間の短縮を許すとは思えません。

 住宅についても、「年収の五倍」を達成するための手段は、市街化区域内農地の宅地並み課税、通勤新線の建設など過去にいわれてきたことばかりで、目新しさに欠けます。抜本的な打開策なしに可能なのかという疑問はぬぐえません。

 また、CO2やフロン排出の抑制をはじめ、リサイクル型産業構造への転換、代替エネルギー開発、途上国の公害防止など地球環境保護コストはますます増大します。環境保護と豊かさの追求をどう両立させるかも、大きな課題です。

 このようにみてくると、「生活大国5か年計画」の考え方や理念にはうなずけても、各論となると総花的に過ぎ、実現にむけた施策の裏付けが弱いように思います。目標達成への努力がどこまで貫かれるか、長い目でチェックしていく必要がありますね。

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