更新:2008年8月16日
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TMD(戦域ミサイル防衛)構想

●初出:月刊『潮』1998年11月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

QuestionニュースでTMD構想という言葉を聞きました。
どんなことか教えてください。

AnswerTMDは“Theater Missile Defense ”の頭文字で「戦域ミサイル防衛」と訳します。シアターは劇場や舞台、転じて現場や戦場という意味です。

 先日、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が日本列島の頭越しに弾道ミサイル実験を行ったのではないか、との報道が流れました。対して北朝鮮は人工衛星打ち上げと主張。直後は衛星が確認できないと発表したアメリカも、結局は衛星打ち上げ(の失敗)だったという見解に落ち着いたようです。

 ところが、人工衛星打ち上げ技術と弾道ミサイル打ち上げ技術に大差はありません。衛星の代わりに弾頭を積めば、日本を射程距離に入れたミサイルに転用できなくもないのです。そこで「北朝鮮の脅威」が声高に叫ばれ、ミサイルに対する防空システムのTMD構想も話題になったわけです。

売り込みに熱心なアメリカ

QuestionTMDは今回
突然出てきた話なんですか?

Answer実は、突然の話ではありません。TMD構想がいわれはじめたのは一九九三年頃です。

 戦後の東西冷戦時代は、アメリカとソ連の間に大陸間弾道ミサイルのにらみ合いが続きました。一方が攻撃すれば他方も反撃し、両国とも破壊され尽くしてしまう。だからどちらも戦争を仕掛けないという時代です。その後、ベルリンの壁が崩れソ連も崩壊すると、東西間を核ミサイルが飛び交う可能性は少なくなりました。しかし、超大国のタガがはずれたぶん、民族・宗教対立など地域的な紛争が相次ぎ、核兵器や化学兵器などの拡散も進んでしまったのです。

 その典型例が九〇年の湾岸戦争。当時、イラクが発射したスカッドミサイルがイスラエルを直撃し、米軍はパトリオットミサイルで対抗しました。この頃から、大陸間を飛ぶ長距離ミサイルよりも、小国が隣国を狙うような中距離ミサイル(射程一〇〇キロ前後〜三〇〇〇キロ程度)が大きな脅威だという話になってきました。そこで登場したのがTMD構想です。

 これは、一言でいえば弾道ミサイルをミサイルで打ち落とそうという構想。まず、軍事偵察衛星や早期警戒衛星のネットワーク、空中警戒管制機やイージス艦のレーダー網などを張り巡らし、対象国を監視します。同時に、迎撃ミサイルを地上やイージス艦に配備し、監視システムと迎撃システムを結んで総合的に管制するシステムをつくっておきます。そして、対象国がミサイルを発射したら、ただちに迎撃ミサイルを発射し撃ち落とすというのです。

 アメリカはTMD構想が浮上した直後から、日本に対し共同開発しないかと熱心に促してきました。九三年末には日米の事務レベルで検討する作業部会が始まっています。アメリカはTMDを独自に開発して日本に売り込んでもよさそうなものですが、なぜ開発段階で参加を求めるかといえば、日本から開発資金を得て自国の軍事産業に注ぎたいからです。冷戦が終わってアメリカの国防費は大幅に削減され、軍事産業は大きな痛手を受けました。アメリカがTMDに熱心なのは、その救済という側面が小さくありません。開発後の売り込みでは、儲けが何年先になるかわかったものではありませんが、共同開発に巻き込めば、商談は成立したも同然ですから。

効果、費用はじめ問題山積

QuestionTMD構想の
実現の可能性は?

AnswerアメリカはTMDを冷戦後の最優先防衛構想と位置づけ、数百億ドルを投入して開発を進めています。しかし、問題も山積しています。

 第一に、弾道ミサイルをミサイルで迎撃することが簡単ではありません。ピストルから発射された弾丸に別の弾丸を当てるようなもの、といった人があります。スカッドは射程三〇〇キロで、地上に落ちてくるときのスピードは秒速三・五キロ。音速のジェット機の一〇倍も速く、そのうえ的が小さいのです。しかもそれが、発射から八分ほどで落ちてくるのです。

 また、ミサイルは飛行機を撃ち落とすのと違って、弾頭を確実に破壊しなければ意味がありません。湾岸戦争で使われたパトリオットは対航空機用のミサイルで、目標とすれ違いざまに爆発し、爆風と破片で航空機を撃墜します。しかし、飛ぶというより落ちてくるといったほうがよい弾道ミサイルでは、燃料タンク(もうほとんど空になっています)に破片で穴をあけても意味がなく、そのまま墜落し爆発してしまいます。爆風で進路をそらせてもダメ。砂漠に都市がポツンとある国ならともかく、日本では最初の狙いがはずれても、別の人口密集地に落ちて爆発します。

 実際、パトリオットはスカッドに対して大戦果を上げたように報じられましたが、湾岸戦争後の検証では、ほとんど効果がなかったとされています。そこで、現在開発中のTMDではすれ違いざまの爆発でなく命中させて落とす方式が採用されていますが、度重なる実験は失敗の繰り返しです。命中精度を上げても、一〇〇%の迎撃など到底無理という見方もあります。

 第二に、資金がかかりすぎるという問題があります。アメリカの提案には廉価版から高いものまでありますが、少なくとも一兆円以上、場合によって数兆円の資金がかかります。日本の年間防衛費よりも高いのです。ある防衛関係者によると、「風呂に象を入れるようなもの」だそうです。しかも、費用は効果とセットで考えなければなりません。費用対効果の面からは、TMDはとんでもない買い物になりそうです。

 第三に、時間がかかりすぎます。アメリカが日本に共同開発を提案しているのは、米海軍が開発中の海上配備システムですが、計画は遅れがちで、開発終了は二〇一〇年代になりそう。するとまず米海軍に配備され、ついで海上自衛隊に回ってくるのは二〇一〇年代の後半。そのとき、東アジアの状況が今日のままかどうかは疑問です。

 第四に、日本の主権(国としての権利)が侵される恐れがあります。TMDは、アメリカ本土用ではなく、海外にいる米軍と同盟国を防衛するためのシステム。しかし、肝心の部分に他国を関わらせるはずはないのです。今回の北朝鮮の問題でも、米偵察衛星が撮影した映像を見せてくれたりは絶対にしません。TMDを導入しても同様で、日本は防空システムの枢要部分をアメリカに握られ、自衛隊は極東米軍の手駒になってしまいかねないのです。

 さらに、TMDの開発段階から日本が参画すると、日本の国是である武器輸出三原則に触れる可能性があるほか、宇宙の平和利用にも反する恐れがあります。

日本の選択は?

Question日本は、どんな選択を
すべきでしょうか?

AnswerTMD構想の対象となるミサイルは、中国も配備しています。しかし日本は、中国のミサイルを脅威だとは考えていません。また、戦後長い間日本には核ミサイルが向けられていましたが、だから防空体制を整備すべきだという話は、政治家からも防衛庁からも出ませんでした。ミサイルは存在するだけならば潜在的な脅威にすぎず、必ず飛んでくるからただちに備えを、というのは短絡的すぎます。

 備えのTMDに一兆円かかるなら、その一兆円を使って、北朝鮮をいきなりミサイルを発射する心配などない国になるよう、うまく誘導するほうがいいに決まっています。戦争に負け、新憲法を手にした日本は、そのように生きる国となる決意をしたのではないでしょうか。その努力をせずにTMDに手を出すのは、順序が違っています。

 いま必要なことは、いたずらに脅威を口にすることではなく、冷静に各国の情勢や思惑を見極めること。そして、一大不祥事が発覚した防衛庁に、TMDのような巨大な問題をまかせきりにせず、情報公開を進めて、幅広い議論を進めることだと思います。

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