●初出:月刊『潮』2005年2月号「市民講座」●執筆:坂本 衛
スマトラ沖巨大地震で発生した
インド洋大津波について教えてください。
2004年12月26日午前10時ごろ(日本時間)、インド洋東端に位置するインドネシアのスマトラ島沖で、マグニチュード9の巨大地震が発生。
地震が引き起こした高さ数〜10m級の大津波がインド洋沿岸の10か国以上を襲いました。死者はインドネシア17万人弱、スリランカ4万人弱、インド1万数千人、タイ数千人以上など。ロイター通信によると2005年1月20日現在(以下の数字も同じ)の死者総数は22万6000人以上で、避難民は数百万人。
タイ南部のプーケットや珊瑚礁《さんごしょう》の国モルディブなど人気リゾート地も巻き込まれ、欧米からの旅行客の被害も多く、日本人死者も25名に達し、なお少なくとも40人前後が行方不明。大津波はインド洋の西端、アフリカ東岸にあるソマリア、ケニア、タンザニア、セーシェルまでも届き、死者を出しました。
地震があったスマトラ島西方は、地殻をつくる岩盤(プレートと呼ぶ。これがいくつかに分かれて地球の表面をつくり、しかも、ゆっくりと動いている)の境界にあたる場所。インド・オーストラリアプレートがユーラシアプレートの下にもぐり込んでおり、ひずみが蓄積されると、引きずり込まれていたユーラシアプレートが反発して跳ね上がります。これは、日本近海で太平洋プレートやフィリピン海プレートが陸側プレートの下に潜り込み、一定の間隔をおいて陸側プレートが跳《は》ね上がるのと同じメカニズムです。
今回の巨大地震は、震源の深さが約十kmと浅く、しかも長さ1000kmというような細長い地域が、ゆっくりと断続的に動きました。海底での跳ね上がり(海底の盛り上がり)の大きさはおそらく数m以上で、震源域が広大だったため、巨大なエネルギーを持つ津波が引き起こされたと考えられています。
津波は、どのようにして
何千キロも離れた場所にまで届くのでしょうか?
津波は、地震で海底の地形が急激に変動することによって、海の水が揺すられて起こります。
寄せては返す海の波は、主として風によって引き起こされていますから、水は表面付近でしか揺れていません。これに対して津波は、海底から水面までの水が広い範囲で一斉に動きます。今回の地震や、日本列島の太平洋側でよく起こるプレート境界の大地震では、海底の地形の動きは数m以上。津波は、表面だけが動くふつうの波とは、まったく比べものにならない巨大な力を持っているのです。
ところで、津波の高いところと低いところの間隔、つまり「波長」は長さ数十km以上にもなります。地震は地下で断続的な大破壊が起こる現象で、破壊は一か所または複数の場所から始まり、周囲に広がっていくからです。ということは、海の真ん中で船に乗っていて津波に遭遇すると、海面の高い場所と低い場所の高低差は数mあっても、その場所が数十kmも離れているわけです。したがって津波の高低は、海の上ではまったく気づきません。
しかし、目には見えなくても、実は数mの高低差のある「波」(波というよりは広範囲の海水の盛り上がり)が、海を伝わってきています。その速さは海の深さの平方根に比例し、深い場所ほど速くなります。簡単な式で計算できますが、海の深さを平均4000m弱と考えると、津波のスピードは秒速200m、時速700kmくらい。これは飛行機なみの速さです。
そして、スピードが海の深さに比例するため、陸に近づいて海底が浅くなると津波は減速します。すると後のほうの波が前の波に追いついて、波が高くなります。さらに、湾の形が陸地側にむけて先細り(上から見ればV字型。立体的に見ればメガフォンのような円錐形を半分にした形)になっていれば、行き場を失った波は、ますます高くなります。こうして、もともとは高低差が数mの波でも、場所によっては数十m、十数階建てのビルを越える高さになります。
今回の大津波で「Tsunami」という言葉が世界で一般化しましたが、これはもともと「津(港)の波」、つまり「港に入ってきて初めて目立つ波」という意味なのです。名は体を表すわけですね。
津波に対して気をつけるべきなのは、
どんなことですか?
地震大国の日本では、津波は、台風ほどしばしば襲ってくるわけではありませんが、珍しくない自然災害といえます。
1896年の明治三陸地震では、陸上の震度こそ3程度でしたが、長くゆったりした揺れの20分後に巨大津波が押し寄せ、最大波高は綾里で38・2mを記録。死者は2万2000人以上。1960年のチリ地震(マグニチュード9・5で、現在までで知られる最大の地震)では、発生から22・5時間後に三陸地方を中心に津波が襲い、日本各地で142人の死者が出ました。スピードを計算すると1万7000kmの距離を時速760kmで進んできたことになります。
記憶に新しいのは1993年の北海道南西沖地震で、震源域にごく近い奥尻島には一瞬で津波が押し寄せ、死者行方不明130人が出ました。津波のスピードは地震の揺れより遅いので、揺れを感じてから津波警報を出す余地があります。しかし、震源が近いときは警報も役に立ちません。奥尻では、津波の知識があった旅館の女将《おかみ》が「津波が来る。逃げて!」と怒鳴り、真っ暗な中わけもわからずとにかく高台に駆け登った人が、命からがら助かったと伝えられています。
震源域からの距離とともに重要なのは海底の地形。三陸地方のリアス式海岸のように入り江の奥に集落がある場所では、津波は予想外の高さになります。過去に津波災害で犠牲者が出ている場所では、大きな地震があったら、すぐに高台に避難することが大切。テレビやラジオの情報は間に合わないことがあります。
インド洋大津波では、海水がいったん引いた、沖に一筋の津波が見えたなど、海の様子が変だとわかっても、ビデオを撮り続けている人が大勢いました。あのような異変に気づいたら、とにかく陸の少しでも高い場所に、一目散に逃げなければなりません。津波はふつうの意味の波ではなく「海水の壁」です。沖に見える一筋の白波の後に、2階建てや3階建ての高さの盛り上がりがずっと続いていることを忘れないでください。
インド洋大津波の救援活動や今後の対策は、
どうなっていますか?
今回の津波は、犠牲者の数をはじめ私たちの想像を絶する被害が明らかになったこと、欧米人になじみのある観光地が巻き込まれ各国に死者が出たことなどから、世界でも大きな注目を集めました。
「国境なき医師団」をはじめとするNGOや、各国政府による救援活動も活発化し、各国で莫大な寄付金が集まったほか、先進諸国による支援金の拠出や、利払い・借金返済の猶予なども次々に決定。アメリカもイラク戦争で失った信頼回復のチャンスとばかり、1万2000人の米軍や多くの艦艇を被災地に振り向け、著名人が競って巨額な寄付を申し出ています。
津波の被害は一過性であり、伝染病などの発生を押さえ込むことができれば、新たな死者は出ません。しかし、ずたずたになった社会基盤を立て直すのは容易ではなく、復旧には長い年月と資金が必要です。
環インド洋津波警戒システムの構築も叫ばれていますが、国際的にどんなシステムを作っても、末端まで情報が行き渡るかどうかは、結局は教育や通信網はじめその国の社会基盤の復旧にかかっています。日本は大量の資金拠出を表明しましたが、おカネだけ出してもダメで、人が行って顔の見える「息の長い」貢献をしなければなりません。アジアの経済大国としての日本の責任が問われるのは、これからだと思います。
※一部のデータは「山賀進のWeb site」を参考にさせていただきました。
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