更新:2008年8月16日
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UNTAC(カンボジア暫定統治機構)

●初出:月刊『潮』1992年8月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

一三年続いた内戦に幕

Questionカンボジアでの国連PKO活動が本格化してきましたね。
中心になって活動しているUNTACについて教えてください。

Answerはい。UNTACは「カンボジア暫定統治機構」の略(「統治」を「行政」と訳す場合もあります)。カンボジアにおける平和維持活動(PKO)を目的として、国連の安全保障理事会が設置した暫定的な機関です。ここではUNTACそのものを解説する前に、和平に至るまでのカンボジア紛争の経緯について、簡単に触れておきましょう。

 ベトナム、ラオス、タイに囲まれたインドシナ半島の小国カンボジアは、ベトナム軍の侵攻によってポル・ポト政権が敗走し親ベトナムのヘン・サムリン政権が樹立された一九七九年以来、激しい内戦状態にありました。八二年には、王族出身のシアヌーク殿下を中心とするシアヌーク派、ポル・ポト派、それにソン・サン派によって三派連合政府が樹立され、ヘン・サムリン政権に対抗しています。

 しかし、ベトナム軍が撤退した八九年以降、当事者四派による話し合いを各国(国連安全保障理事会の理事国や周辺関係国)が積極的に後押しして和平への模索が重ねられ、九〇年には四派が集まってカンボジア最高国民評議会(SNC)を設置することが決定。九一年十月にはパリでカンボジア問題パリ国際会議が開かれ、最終的な和平案が合意されるに至りました。これを「パリ合意」と呼んでいます。

国連主導の平和と再建

Questionパリ合意の中身を
教えてください。

Answer合意の骨子は「国連安保理はUNTACを設立し、これがSNCの助言を受けて、停戦、各派の武装解除、総選挙の実施に当たる」というもの。政治的中立を確保するために、行政機関などはUNTACの直接管理下に置かれます。停戦は二段階に分けて実施する、四派の武力は最低七割を削減する、総選挙は州ごとの比例代表制とすることなども合意されました。

 SNCについては、新政権樹立までのカンボジアを代表する唯一の合法的な機関と位置づけられています。しかし、最高意思決定機関であるSNCがUNTACに対してできることはあくまで「助言」。しかも、その決定権はシアヌークSNC議長がもつものの、議長が決定できない場合はUNTACが決定するとされています。

 つまり国連のUNTACは、SNCの意向を最大限尊重する建て前をとっていますが、カンボジアは新政権誕生までの移行期間中、国連の管理下に事実上移行したと考えられます。これまで国連は、さまざまな国際紛争で平和維持に従事してきましたが、いずれも小規模な軍隊で停戦を監視するといった活動が中心。UNTACのような大規模な組織を設置し、平和維持だけでなく総選挙から新政権発足までという国家再建に直接関与するのは、初めてのことです。パリ国際会議で和平案に調印したのは日本を含む一九か国ですが、これらの国はもちろん国連を中心とする国際社会全体が、新生カンボジアの誕生に責任を負うことになります。

総員二万二〇〇〇人の大組織

QuestionUNTACの組織は、どんな仕組みに
なっているのですか?

AnswerUNTACは軍事部門と民事部門の二つに大別できます。軍事部門には軽武装する実働部隊(予定人員一万五五〇〇名)と非武装の停戦監視団(同五〇〇名)があります。実働部隊は武装解除、武器処分、捕虜交換、地雷処理、停戦線設定などを行う歩兵大隊と、通信、航空輸送、医療衛生、工兵にたずさわる後方支援部隊に分かれます。この実働部隊が国連の平和維持軍(PKF)と呼ばれるものです。

 一方、民事部門は予定人員六〇〇〇名で、警察(同三六〇〇名)のほか、民政、選挙、人権、復旧、要員訓練、難民支援などの部門があります。こちらはすべていわゆる「文民」で構成されます。

 これら総員二万二〇〇〇名にのぼる大組織UNTACを率いているのが、明石康国連事務総長特別代表。明石氏はわが国が国連に加盟した翌年の一九五七年に国連入りした日本人初の国連職員です。

Question平和維持軍は、湾岸戦争のときの
国連軍とは違うのですね?

Answerはい。湾岸戦争のときに多国籍軍あるいは同盟軍と呼ばれた国連軍は、平和破壊国や侵略国に対する国連による軍事的な強制行動を定めた「国連憲章」第七章の規定に基づく軍隊。朝鮮戦争のときの国連軍も第七章を根拠にしています。

 これに対してUNTACの平和維持軍は、国連憲章に直接の規定はないものの、紛争の平和的解決を規定した第六章に基づくものとされています。つまり国連軍には、いわば「国連憲章第六章型」と「第七章型」の二つがあるわけで、両者の目的、理念、実際の行動などははっきり異なっています。

 このことは国連軍の構成にも現れています。UNTACの軍事部門の中心(PKF本隊)である歩兵大隊は、一〇か国の軍隊が一〇の地域に分かれて従事します。平和維持軍は大国の影響を排し、小国の軍隊を中心に構成するのが国連の伝統で、今回もフランスとインドを除けばバングラデシュ、パキスタン、ウルグアイ、マレーシア、ガーナといった小国が参加しているのです。湾岸戦争の国連軍が米軍や英仏軍中心だったのとはまったく違います。

現在はフェーズII段階

QuestionUNTACの活動はどのようなスケジュールで
進められているのですか?

AnswerUNTACが活動を開始したのは九二年三月からですが、その活動はフェーズI〜IIIと呼ばれる三段階に分けられています。

 フェーズIは、一九九一年末から九二年六月まで(UNTAC設立以前は国連カンボジア先遣隊UNAMICが活動。これはUNTAC設立時に吸収されました)で、国連の軍事・民事部門の人と資材をカンボジアに送り込み、各地に展開して準備態勢を整える段階。フェーズIIは、予定では九二年九月頃までで、カンボジア四派軍の武装解除の段階。フェーズIIIは、兵士や難民の帰還受入れを終え、九三年五月に予定されている総選挙の準備体制を完成する段階です。

 そして、総選挙の結果、憲法制定議会が成立し新政権が樹立されると、選挙から三か月以内に憲法が制定されることになっています。順調に進めばPKF本隊などUNTACの大部分は、この頃までに撤退する予定です。現在はフェーズIがほぼ終り、フェーズIIが始まったばかり。国連あるいはUNTACの計画通りに活動が進むかどうか、まだまだ予断を許さない状況のようです。

最大の問題は武装解除

Questionどんなことが
難しいのでしょう?

Answer九二年六月中旬にはカンボジア北部でプノンペン政府軍(ヘン・サムリン政権軍)とポル・ポト軍の戦闘が起こりました。なにしろ内戦が一三年も続き、その間ポル・ポト派による大量虐殺が起こるなど、この国は混乱を極めたのです。四派がSNCに参集し国家再建を目指すという合意はあるものの、各派の対立が簡単に解消するとは考えにくく、小競り合いは今後も続くと思われます。

 各派は武器の少なくとも七割をUNTACに提出することになっていますが、武器や物資の隠匿に対して、UNTACによる監視や検証がどの程度有効かという問題もあります。武装解除がうまくいくかどうかが、当面最大の問題でしょう。

 武装解除が順調に進み、停戦がある程度守られるとしても、多数の難民や兵士たちを帰還させ、各地に定住させ、選挙人登録を済ませるというのがまた難事業です。難民帰還や選挙実施には、主要幹線道路から地雷を撤去する、橋を架け直すといった作業も必要で、これも大変。国外キャンプに逃れた難民が住んでいた町に帰還したら、土地や建物が占拠されており所有権争いのトラブルが頻発しているともいいます。さらに傷病兵や孤児などの弱者には、有効な対策がほとんど講じられていません。

 UNTACの資金は二〇億ドルともいわれていますが、これをどう捻出するかも大問題。UNTACの前には、まさに難問が山積しているといっても、過言ではないでしょう。しかし、今回のUNTACが冷戦終結後の国連最大の事業であり、国連による国際紛争解決への新しい一歩であることは間違いありません。UNTACによって、国連の、そして国際社会の力量が、いま問われているのです。

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