更新:2008年8月6日
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有事法制

●初出:月刊『潮』2002年7月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

Question有事関連法案が国会で議論されています。
これについて教えてください。

Answer日本の国は、第二次世界大戦(太平洋戦争)に負けた1945年から、新しい国づくりを始めました。当時は、戦争による死者300万人以上、空襲による罹災者1000万人近くを出し、国土も壊滅的な打撃を受けた直後。人びとの多くは「戦争は二度とごめんだ」と思ったのです。

 もちろん、アメリカをはじめとする戦勝国の、日本を軍事的な脅威にしたくないという意向も、強く影響しました。

 そこで「平和憲法」として知られる現行憲法ができ、その第九条は「日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。 国の交戦権は、これを認めない」と、戦争の放棄を謳っています。

 その後、ソ連圏と米・西欧圏の東西対立が始まり冷戦が激化すると、日本は、朝鮮戦争のときに作った警察予備隊を、保安隊をへて自衛隊に昇格(1954年)させます。憲法九条の戦争放棄は「自衛のための戦争までは放棄していない」という考え方が大勢を占めたわけです。

 現在では、自衛隊は軍事費(各国がそうしているように軍人恩給を含む)で世界第2位の巨大な軍隊。自衛隊を「日本国の正規の国防軍ではない」などと思っている国は、世界中どこにもありません。

 しかし一方で、自衛隊は大きな矛盾を抱えています。核兵器と国外を攻撃できる艦艇・爆撃機・ミサイルなどを除けば世界最新鋭の兵器をもち、どう見ても世界有数の軍隊である自衛隊の仕事は、「いざとなったら戦争をすること」です。災害出動や雪祭りの雪像づくりが本来の任務なら、戦闘機も戦車もいりません。

 けれども、憲法九条の存在が象徴するように国民には戦争に対する強い抵抗感・拒否感があります。実質は世界有数の軍隊でも、実際に自衛隊が戦争することは「ありえないこと」、「あってはならないこと」と、長い間思われてきたのです。その結果、自衛隊が戦争をするための法律や制度(有事法制)は、まともに検討されたことがほとんどありませんでした。

 だから、実際に戦争が始まったとき自衛隊が動こうとしても法整備がなされていないため動くに動けない、これは困るというのが政府与党の考え方です。そこで、有事法制が国会に提出され議論が始まったのです。

なぜ、いま、有事法制か?

Questionでも、そうした問題は自衛隊ができてから半世紀近く、
ずっとあったのでしょう。なぜ、いま、有事法制なのですか?

Answer「有事」法制はイコール「戦争」法制ですから、昔はおおっぴらに議論できない雰囲気があったのです。1965年には自衛隊が内部で朝鮮半島有事の際の出動を研究しましたが、これは「三矢研究」として暴露され政治問題になりました。77年には防衛庁が、立法化を前提としない有事法制の研究を始めましたが、そこからあまり前進していません。

 一方、国際情勢は大きく変わりました。ソ連が崩壊し東西対立が終わった1990年代以降、世界では国際紛争が激化しました。朝鮮戦争やベトナム戦争のような東西の代理戦争はなくなったものの、超大国のタガがはずれたために、宗教対立や民族対立などの地域紛争が一気に噴出してきたのです。

 湾岸戦争以降は、こうした紛争に唯一の超大国アメリカを中心とする多国籍軍が介入するというパターン。これには日本も先進国の一員として協力すべきという国内外の世論が強まり、実際に戦争に協力しています。軍事費を負担するのも、機雷を掃海するのも、軍艦に給油するのも、もちろん戦争協力に決まっています。

 さらに、アメリカの同時多発テロやアフガン空爆、あるいは日本周辺で朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)のテポドン発射や不審船騒動などが発生。日本の自衛隊もほかの先進国の軍隊と足並みをそろえて行動してもよいのではないかという考え方が、以前より広まっていることは確かでしょう。この機をとらえて、小泉内閣は有事法案の国会提出に踏み切ったわけです。

具体論は先送り

Question有事法制の中身を
教えてください。

Answer提出された法案は三つです。「武力攻撃事態法案」は、有事の際の基本理念、国や地方自治体の責務、首相の権限、国民の協力その他の基本となる事項を定めています。「自衛隊法改正案」は、防衛出動を命じられた自衛隊が任務を有効かつ円滑に遂行できるように、その行動や権限の規定を整備し、関係法律の適用について特例措置を定めています。「安全保障会議設置法案」は安全保障会議の役割を明確にし、政府の意志決定機能を強化するための法律です。

 このうち自衛隊法改正案は、防衛庁・自衛隊内部で検討されてきたもの。しかし、残りの二つは準備不足のまま急いで作ったという印象が強く、具体的な中身はあまりありません。

 基本法的な性格をもつ武力攻撃事態法案は、最後のほうに「事態対処法制の計画的整備」という条文を設け、保健衛生の確保や社会秩序の維持、輸送や通信、国民の生活の安定、被害の復旧などの措置は(法律の施行後)二年以内にそれぞれの法律で整備するとしています。それが、どんな中身になるかは、まだ検討されていないのです。具体的なのは、自衛隊法の物資の保管命令や、医療、土木建築、輸送などの業務従事命令くらいです。

拙速を避け、国民的議論を

Question議論のポイントとして、
どんなことに注目すべきでしょうか。

Answer最大の問題は、有事法制は戦争法制であって、「戦争をするときの諸問題」しか議論されていないことです。それを議論するなら、同時に「戦争を避けるための諸問題」も議論しなければ、全然おかしいと思います。戦争を避ける交渉は外務省の担当ですが、この役所がなっていないことは誰が見ても明らか。外務省を徹底的に改革するほうが、話は先でしょう。また、武力攻撃とはなどと細かい定義を決めるよりも、武力攻撃を仕掛けてきそうな国をどう仕掛けない方向に誘導するかという外交戦略のほうが、はるかに重要なはず。木を見て森を見ない結果に陥らないことが、もっとも大切です。

 有事法制の中身で議論になりそうなのは、まず有事の定義。これまでの「武力攻撃が発生するか、その恐れのある場合」から「武力攻撃が予測される事態」に広がっていますが、具体的な違いがよくわかりません。

 また、有事法制は、住民への避難の指示、放送や携帯電話などの電波管制、空港や港の利用制限、私有地や私有財産の収用、医療・建設・輸送関係者への従事命令など、国民の私権を制限する内容を含んでいます。それがどこまで許されるのか、攻撃された時点と恐れがある時点でどう区別するのかも、難しい問題です。

 有事法制の武力攻撃は古典的な武力侵攻を想定しており、コンピュータ・ネットワークを標的にするサイバーテロや、バイオ兵器による攻撃には対処できないという見方もあります。

 いずれにせよ、検討が必要な問題は山積しています。拙速を避け、時間をかけて多くの国民が納得できる議論をすべきだと思います。

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