更新:2008年5月31日
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赤ちゃんポスト

●初出:月刊『潮』2007年11月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

2007年5月、熊本でスタート

Question赤ちゃんポストが始まって半年。
その後の経緯を教えてください。

Answerいわゆる「赤ちゃんポスト」は、さまざまな事情によって赤ちゃんを育てることのできない親が、人に知られないように赤ちゃんを入れるための装置、またはその装置による赤ちゃん保護システムの通称です。

 赤ちゃんポストは、病院その他の建物のあまり目立たない側面などに設置され、外側はハッチのように跳ね上げ式で開く扉になっています。扉を開けると中は一種の保育器、つまり透明な箱で覆った小さなベビーベッドで、温度が一定に保たれています。赤ちゃんを入れると宿直室でブザーが鳴り看護師が駆けつける工夫がされていたりもします。

 この原型にあたるものは、西欧のキリスト教社会では中世から存在していたようです。キリスト教では、イエスが「貧しき者は幸いである。天国は彼らのものである」と説教したように、豊かな者は永遠の救いにあずかりにくい(天国に入りにくい)存在でした。そこで豊かな者ほど慈善を行い、善行を積む必要があり、貧民への喜捨《きしゃ》や教会への寄進が推奨されたのです。修道会は盲人、病人、孤児などの世話をしましたし、中世の都市では豊かになった手工業者、商人、貴族らが私財を投じて病院、施療院、養老院、孤児院などをつくっています。捨て子の受け入れ施設を作った修道院や孤児院もあり、これを赤ちゃんポストの原型と見る人もいます。

 最近、赤ちゃんポストが目立って設置されるようになった国はドイツです。ドイツでは、1999年秋、ゴミ箱に捨てられた赤ちゃんが遺体で発見されたことから市民団体がハンブルグに設置。これが各地に広がりました。日本では、カトリック系の医療法人が経営する熊本の慈恵《じけい》病院が、2007年5月に設置しました。同病院では「こうのとりのゆりかご」と呼んでいますが、この赤ちゃんポストに入れられた赤ちゃんは、一部報道によれば2007年8月までに7人とされています。

赤ちゃんポストの背景

Question赤ちゃんポストが導入された背景は、
どんなことでしょう?

Answer慈恵病院(東京慈恵会医科大学とは関係ありません)の理事長は、40年近く前、教会の司祭館の軒下に捨てられていた赤ちゃんを病院で預かったことがあるそうです。

 ホームページでは、身近に18歳の少女が産み落とした子を殺し庭に埋めた事件、21歳の専門学生がトイレで子を産み落とし窒息させ6年の実刑判決を受けた事件があり、「神様から授かった尊い生命を、何とかして助けることができなかったのか? 母親もまた救うことができたのではなかろうか? という悔しい思いをし」たと述べています。

 日本で1年間に生まれる赤ちゃんの数、つまり出生数は110万人前後で推移しています。しかし、厚生労働省の「衛生行政報告例」によると人工妊娠中絶の件数は2005年度末で28万9127件。実数はその倍程度ではないかともいわれています。

 母体保護法には、妊娠の継続や分娩が身体的または経済的理由によって母体の健康を著しく害するおそれのある場合か、強姦による妊娠の場合には、医師は人工妊娠中絶を行うことができると書いてあます。右のどちらにも該当しない妊娠中絶は堕胎罪《だたいざい》。「三人目の子どもは、もういらないから」という理由による中絶は、厳密にいえば犯罪なのです。

 にもかかわらず、中絶が少なくとも約30万件、実際には出生数の半分の数十万件あっても不思議がない現状では、親に望まれずに生まれる赤ちゃんも少なからずいるだろうと考えざるをえません。たとえば、中絶したかった母親が費用が払えずに仕方なく産んだ赤ちゃんは、虐待や育児放棄の対象になる率が一般の赤ちゃんよりも高いでしょう。

 実際、いわゆる捨て子は年に200人ほどあるといわれています。児童虐待や幼児虐待の件数は年を追うごとに増えており、育児ノイローゼの母親が子どもを殺してしまったといった子殺し事件もしばしば報道されています。これらは、いずれも「赤ちゃんポスト」導入の背景といえます。

 赤ちゃんが捨てられ、殺されてしまうケースすらあるならば、赤ちゃんを安全に親から放したほうがましで、それには「赤ちゃんポスト」の設置が有益だという考え方は十分成り立つと思います。

賛成の声、反対の声

Question賛成意見と反対意見が入り乱れて
いるのではありませんか?

Answerそうです。典型的な賛成意見は、「赤ちゃんポストに入れられた新生児は、もしポストが存在しなければ、別の場所に捨てられたか、そのうち虐待されたか、最悪の場合は殺害されてしまったかもしれない。だから、その子は赤ちゃんポストによって命が救われたと考えるべきだ」というものです。

 この主張には、ちょっと反論しにくいでしょう。というのは「もし存在しなければ」という仮定の、それも将来の事柄は、誰にも見通すことができないからです。どうなるかわからない以上、その主張は絶対に間違いだとは断定できません。しかも、現実には、ポストが存在すれば防げたかどうかはわかりませんが、虐待や子殺しが相次いでいます。

 一方、典型的な反対意見は、「赤ちゃんポストの設置は、捨て子や育児放棄を助長することになる」というものです。熊本の赤ちゃんポストを利用した親は、それが存在するから赤ちゃんを入れたのであって、存在しなければ入れることはできません。その意味で赤ちゃんポストは、捨て子や育児放棄を積極的に推奨したわけではないにせよ、助長したとか引き金になったとはいえるでしょう。

 しかし、この反対意見には、赤ちゃんポスト賛成の立場から、こう反論できます。「捨て子や育児放棄を助長したとしても、命を救ったのだから、なんの問題もない」と。この言い方は、最初に紹介した典型的な賛成意見と同じですから、やっぱり反論しにくいでしょう。

 反対意見には、「児童福祉法や児童虐待防止法に違反するのではないか」「刑法の保護責任者遺棄罪ほう助に当たらないか」など、法的側面を問題にするものもあります。しかし、赤ちゃんポストは赤ちゃんを保護はしても虐待はしません。保護責任者遺棄罪は親には適用できたとしても、設置した者にまで適用するのは無理があります。

 実は、慈恵病院は2006年12月、医療法に基づいて赤ちゃんポスト設置に必要な施設の用途変更を熊本市保健所に申請しました。市保健所は、前例がないケースとして県と相談し、県は国と相談し、結局、厚生労働省が「明らかに違法、とは言い切れない」と容認しています。

今後はどう展開?

Question今後、赤ちゃんポストは各地に
増えていくでしょうか?

Answer日本では厚労省が容認したものの、各方面から慎重に考えるべきとの声が上がりました。ドイツですら2000年から2005年までに設置された数は80ほどで、そう簡単には普及しないでしょう。赤ちゃんポストが全国100か所に設置されたとしても、入れられる赤ちゃんの数は限定的です。

 むしろ、子どもや若者にきちんと性教育をする、正しい避妊方法を教える、妊娠はじめ大事な問題は親に相談できる親子関係を築くなどを多くの家庭で実行したほうが、中絶や産み落とした子の殺害を減らすには効果的でしょう。

 児童虐待や育児放棄も、児童相談所の専門家を増やす、保健所、小児医院、保育施設、学校、民生・児童委員その他が連携し、地域で子育てを支援していくといった対策のほうが有効でしょう。

 それでも、赤ちゃんポストを設置するという病院や団体があれば、それはそれでかまいません。無理に規制する必要などないと思います。

海外の「赤ちゃんポスト」設置状況

状況
インド1994年、タミル・ナードゥ州に初設置
パキスタン現在、Edhi財団により、全国250か所で赤ちゃんを保護するプログラムを展開
フィリピン現在、マニラの病院1か所で、回転式ゆりかごによる赤ちゃん保護を実施
オーストラリア2005年現在、六つの都市に設置
ベルギー2000年に初設置
チェコ2005年に初設置
ドイツ2000年に初設置。2005年現在、国内80か所以上に設置
ハンガリー1996年に初設置。以来、国内12か所に開設(ほとんどが病院内)
イタリア世界で初めての赤ちゃんポストがバチカンに設置。2006年、ローマに設置。現在は国内12か所
オランダ2003年に設置計画があったが、反対の声が多く中止
スイス2001年に初設置
南アフリカ2000年、非営利団体「Door Of Hope」がヨハネスブルクの教会に設置

作成:「潮」編集部(一部語句を坂本が修正)

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