更新:2006年9月30日
現代キーワードQ&A事典の表紙へ

格差社会

●初出:月刊『潮』2006年4月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

格差社会の到来!?

Questionニュースで「格差社会」という言葉を聞きました。
どういうことですか?

Answer戦後復興期、高度成長期、安定成長期という道筋をへて豊かになってきた日本では、これまで長いこと「一億総中流」といわれてきました。

 いまから30年ほど前、高度成長から安定成長に移行するころの「国民生活選好度調査」(経済企画庁=現・内閣府が実施)によると、ほぼ8割の人が自らの生活程度を「中」程度と答えています。同時期の「国民生活に関する世論調査」(総理府=同)では、生活程度を「中」と答えた人は9割以上で、長期にわたってほとんど変化が見られません。

 これは、資本主義社会のかつてない繁栄のなか、賃金の上昇、生活水準の向上、教育水準の向上、さまざまな身分格差の撤廃などが着実に進んで、いわゆるブルーカラー(工場・現場労働者)もホワイトカラー(事務所労働者)もミドルクラス(中間層、中産階級)化していったからです。

 資本家階級が労働者階級を搾取《さくしゅ》するといった考え方は流行《はや》らなくなり、企業での組合加入率は下がり続け、労働者政党も力を失っていきました。こうして、日本では誰もが自分の生活を「中流」と考えるようになりました。ものすごい大金持ちもとんでもない貧乏人も、それほど多くはなく、格差の少ない社会だと思われるようになったわけです。

 ところが最近、日本ではかつての「一億層中流」が崩れ、所得格差をはじめさまざまな格差が拡大しているのではないか、「中流社会」は「格差社会」へと変貌しつつあるのではないかと、議論されるようになりました。

 「負け組」の絶望感が日本を引き裂くとする『希望格差社会』(山田昌弘、筑摩書房)や低所得で生活能力や働く意欲に欠けた階層集団が出現してきたと論じる『下流社会』(三浦展、光文社新書)という本がよく売れています。いま開かれている通常国会でも、「格差社会」をめぐって熱い議論が盛んに展開されています。

ジニ係数は、じわじわと上昇

Question「格差社会」の到来は、
経済的な統計などで証明されているのですか?

Answer所得などの平準さ(逆にいえば不平等さ)を表す指標に「ジニ係数」というものがあります。これは0(全員の所得が同じ平等な状態)から1(一人が全所得を独占する不平等な状態)の間で動く数字です。

 総務省の「家計調査」や厚生労働省の「所得再配分調査」で見ると、ジニ係数は1980年前後から次第に大きくなっています。厚労省調査に基づいて1981年と1999年のジニ係数を比べると、「当初所得」で0・35から0・47に、納税や社会保障給付後の「再配分所得」で0・31から0・38に増えています。つまり、格差は以前よりは確かに拡大しています。

 一般に、ジニ係数が0・4を超えると格差がきついとされ、0・5を超えると是正が必要という見方もあります。ただし、たとえば住宅・土地資産についてジニ係数を調べて0・6という数値が得られたとしても、積極的に借家を選ぶ人が多ければあまり問題はないわけですから、ジニ係数以外の証拠も探したほうがよさそうです。

 総務省による2005年の「家計調査」では、勤労者世帯(農林漁業世帯を含む)の収入で、最低区分(平均月収23万円強)と最高区分(平均月収80万円強)の格差が3年ぶりに拡大しました。2004年の3・39倍から2005年は3・46倍となったのです。「勤労者世帯」とは全世帯のうち世帯主が役員を除く雇用者の世帯で、つまりサラリーマン世帯のこと。これに含まれない会社役員・経営者の世帯を考えれば格差はもっと広がります。また、離婚した母子家庭で母親がスーパーのレジでアルバイトという世帯が含まれないケースがありますので、実際の格差はさらに広がります。

 明らかに増加している「ニート」(教育、雇用、職業訓練のいずれをも受けていない若者。厚労省によれば2003年に52万人)や「フリーター」(アルバイト生活者。未婚若年アルバイト雇用者は200万人。失業中の者や未婚派遣社員を入れると400万人ともいわれる)の存在を考えても、やはり最近の日本の所得格差は急激に広がってきたと考えるのが妥当《だとう》でしょう。

格差社会を招いたものは?

Questionでは、格差社会は、いつ頃から
どうして始まったのでしょうか?

Answer先に紹介した『希望格差社会』という本は、勝ち組・負け組の格差の拡大で「努力が報われない」と思う人びとの希望が失われ、日本は将来に希望が持てる人と持てない人に分裂する「希望格差社会」に突入しつつあると論じます。著者は、希望が失われはじめたのは実質GDP(国内総生産)成長率がマイナス1%となった1998年からと見ています。日本ではこのころから自殺者数が急増し、自殺者3万人時代に入りました。

 もっとも、バブル経済崩壊後の成長率は、むやみな特別経済対策でゲタがはかされていたわけで、90年代後半はそれが効かないことがハッキリした時期。ですから、格差社会の萌芽《ほうが》は、もっとさかのぼることができると思います。

 「国民生活に関する世論調査」に「生きがいは仕事か、それ以外か」という質問があり、1982年には「仕事」28%で「仕事以外」14%でした。これがバブル崩壊直後の1992年には「仕事」25%で「仕事以外」28%と逆転しています。

 つまり、このあたりで人びとの生きがいや価値観が、仕事・生産・会社中心から、余暇・消費・家庭中心へと、大きく転換しはじめたのです。すると必ずしも大企業や役所に勤める必要はないとか、所得は低く身分は不安定でも自分の趣味を活かして生きるというような人が増えていきます。

 この傾向に拍車がかかったのが90年代後半の大不況で、金融危機が叫ばれ倒産や失業も急増。そこで企業がリストラを本格化させ、派遣社員やパートやアルバイトなどがますます増えました。非正規労働者の賃金は、社員と仕事の中身がほとんど同じでも低く抑えられています。一方、ITバブルが象徴するように、業界によっては活況を呈し、若い起業家たちの間には大成功する者も出はじめました。こうして、日本に格差社会が到来したわけです。

格差社会をどうする?

Question格差社会に、私たちは
どう対処していけばよいでしょう?

Answer構造改革や市場経済の導入が格差社会を招いたのではという声を聞きますが、道路公団の改革や郵政民営化が「フリーターを増やした」とか「金持ちと貧乏人の格差を広げた」とはいえません。官と民の社会的な格差は依然として存在しますから、これを改める改革は今後も続けるべきです。

 「親方日の丸」的な役所や企業にもたれかかり、みんなそこそこ中流でうまくやっていくという社会は、終わりつつあると思います。明らかに社会の活力を生み出す適度な競争は許容し、その結果としての格差も、ある程度は許容すべきです。

 懸念されるのは、比較的所得が低い層が、将来への希望を失ったり、生活能力や勤労・学習能力まで失って、格差が固定化されてしまうことです。多くの人が「競争してもダメだ」と思い込んでしまうような競争社会は、不健全な社会でしょう。

 たとえば、保育、教育、職業訓練といった分野では、所得による格差が生じないように公的な支援をいっそう充実させる必要があります。離婚が増えていますが、母子・父子家庭の子どもが十分な教育を受けられず、競争に参加できないのでは困ります。男女格差、世代格差、地域格差などのうち、明らかに人びとから生活を向上させる機会を失わせているものは、是正《ぜせい》していかなければなりません。

「現代キーワードQ&A事典」サイト内の文章に関するすべての権利は、執筆者・坂本 衛が有しています。
引用するときは、初出の誌名・年月号およびサイト名を必ず明記してください。
Copyright © 2006-2015 Mamoru SAKAMOTO All rights reserved.

Valid CSS! Valid XHTML 1.0! Another HTML-lint がんばりましょう! 月刊「潮」 坂本 衛 すべてを疑え!!

現代キーワードQ&A事典の表紙へ
inserted by FC2 system