更新:2006年9月30日
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レバノン危機

●初出:月刊『潮』2006年10月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

パレスチナ問題

Questionイスラエルがレバノンを空爆しました。
どういうことですか?

Answerイスラエルとその周辺地域は、パレスチナ問題という世界史上でも最大級の難問をかかえています。まず、このあたりの地理と歴史をざっとおさらいしてから、今回のレバノン危機(「レバノン戦争」と呼ぶ人もあります)を解説しましょう。

 中東の地図を見ると、イスラエル、ヨルダン川と死海の西側でイスラエル北部に食い込んだ地域、イスラエル西端の地中海に面した小さな地域の三つ合わせて、剣のような形をしているでしょう。この一帯をパレスチナと呼びます。イスラエルではない二つの地域は、ヨルダン川西岸地区とガザ地区というパレスチナ暫定自治区《ざんていじちく》。イスラエルは、北はレバノン、南はアカバ湾、東はシリアとヨルダン、西はエジプトと国境を接しています。

 「文明の十字路」というべきこの地域では、3000年ほど前にユダヤ人の王国ができ、後にペルシアに、ついでローマ帝国に支配され、およそ2000年前にはキリストが生まれています。イスラム教の開祖ムハンマドの死後はアラブ支配とイスラム化が始まり、500年ほど前から第一次世界大戦まではオスマン帝国(トルコ)の支配下にありました。イスラエルの首都エルサレムは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖地なのです。

 その後イギリスの委任統治をへて、第二次世界大戦後の1948年、世界から集まったユダヤ人によってイスラエルが建国されます。しかし、ユダヤ人の国はできたのに、アラブ人の国ができなかったことから、第一次〜第四次中東戦争をはじめ、イスラエルとアラブの絶え間ない紛争が今日まで続いています。これがパレスチナ問題です。

 1996年にはヨルダン川西岸地区とガザ地区を暫定自治区とするパレスチナ暫定自治政府が成立しましたが、イスラエルとアラブの衝突が収まる気配はありません。そんな中で、今回のイスラエルによるレバノン空爆も起こりました。

ヒズボラ民兵組織とは?

Questionイスラエルによるレバノン空爆の
きっかけは何ですか?

Answerレバノンは、イスラエルの北にある岐阜県ほどの小さな国で、推計人口は400万人弱。1944年の独立までフランスの委任統治下にあり、キリスト教徒とイスラム教徒で議席を6対5に配分するという「国民憲章」を長く持っていた、これまた複雑な国なのです。89年には同数の議席を配分する「国民和解憲章」を採択しています。

 レバノンのキリスト教徒は、1860年代に隣国シリアから虐殺《ぎゃくさつ》を逃れて多数が流入しましたが、その後はイスラム教徒の人口増が大きく、現在では人口比が逆転しています。しかも、イスラエル建国以来、戦火のたびにパレスチナ難民が流入しました。

 1970年代には、ヨルダン王制に弾圧されたパレスチナ難民が大量に流入。レバノン南部でパレスチナ勢力が拡大し、レバノン内戦(75〜76年)が勃発《ぼっぱつ》しています。このときはキリスト教徒側がシリアの軍事介入を要請し、シリア軍がレバノンに駐留。82年にはイスラエルがパレスチナ勢力排除と親イスラエル政権の樹立を狙ってレバノン南部に侵入(85年に撤退)。このようにレバノンには周辺諸国の軍事介入が繰り返されています。

 82年にイスラエルが侵攻したとき、レバノンには「ヒズボラ」(「神の党」の意味)というイスラム教シーア派の民兵組織ができ、対イスラエル武装闘争を始めました。ヒズボラは、イランやシリアの影響下にあるとされ、政党を持ち国会議員や閣僚も出しています。もっともアメリカ政府からはテロ組織として指定されています。

 今回、このヒズボラがイスラエル側に越境してイスラエル兵士二人を拉致《らち》しました(2006年6月30日)。これに対して、イスラエルがレバノン空爆とレバノン南部への侵攻を開始(7月12日)。ヒズボラ指導者のナスララ師は「全面戦争」を宣言し、ヒズボラ側はイスラエル北部にロケット弾を撃ち込んで対抗しました。国連安全保障理事会がレバノン停戦決議を採択し、8月14日にようやく停戦合意に至りました。イスラエルの誤爆などで多くの女性や子どもが犠牲になり、レバノン側で少なくとも1200人近く、イスラエル側で百数十人が死亡したとされています。

ハマスとの連携行動

Questionヒズボラは、なぜイスラエルの
兵士を拉致したのでしょう?

Answer一連の出来事は「ヒズボラ対イスラエル」という対立だけを見ても事情が飲み込めません。「パレスチナ対イスラエル」という対立も考えに入れる必要があります。

 2006年1月、パレスチナ暫定自治政府の国会にあたるパレスチナ立法評議会の総選挙が行われ、ハマスという組織が圧勝しました。ハマスは学校や病院など福祉事業に力を注ぐイスラム慈善団体で、しかもイスラエルの存在権を認めず、自爆テロも辞さないという過激な団体です。

 そこで、イスラエルは「イスラエル破壊を主張するテロ組織が参画する自治政府とは交渉しない」と声明。アメリカはじめ欧州諸国も、ハマスがイスラエルの存在権を認めないならば支援すべきではないとし、パレスチナへの援助資金を打ち切ってハマス政権への締め上げ、兵糧攻めを始めました。

 すると、これに反発するハマスの一派が、2006年6月にガザ地区からイスラエルに侵入して、イスラエル兵士を拉致。イスラエルに捕らえられているパレスチナ側捕虜との交換を提案したのです。この提案に対して、イスラエルはガザ空爆とガザ侵攻で返答。その後、ハマスと連携し支援しているヒズボラが、呼応するようにイスラエル兵士の拉致事件を起こしたわけです。

暴力の応酬では解決しない

Question停戦合意は守られますか?
今後の展開はどうなるでしょう?

Answerイスラエルとヒズボラは当面、国連安保理のレバノン停戦決議に従う姿勢ですが、停戦が完全に実施されるかどうかは予断を許しません。イスラエルは停戦合意後にヒズボラの拠点を空爆し、アナン国連事務総長が「安保理の停戦決議違反」と非難するなど、散発的な戦闘は続いています。

 今後はレバノン政府軍1万5000人と国連レバノン暫定軍(UNIFUIL。現2000人を11月までに1万2000人に増強予定)がレバノン南部に展開して、停戦の監視を行います。これにともなって、イスラエル軍はレバノンから撤退することになっています。

 もっとも、レバノン危機が解決に向かい、レバノン南部で戦闘が終了しても、パレスチナ問題が何一つ解決したわけではありません。

 アメリカやヨーロッパは、パレスチナ暫定自治政府のハマス政権に対する制裁解除の条件として、イスラエルの承認、武装解除、イスラエルと自治政府が過去に交わした合意事項の尊重などを要求していますが、ハマス側は応じてはいないのです。

 今回のレバノン危機は、ハマスやヒズボラ側のイスラエル兵士拉致と、イスラエルの空爆や侵攻という「暴力の応酬」ばかりで、結局、両者の憎しみだけが増大したように見えます。アラブ世界やイスラム世界にもイスラエルとの共存を目指す現実主義者は少なくありませんが、彼らの声は封じ込まれてしまいました。力の応酬では何の解決にもならないことを、国際社会は改めて認識する必要があると思います。

 「ヒズボラ・ハマス対イスラエル」の対立の背景に、「イラン・シリア対アメリカ」の対立があり、それが激化していることも大きな懸念材料です。国際社会は依然として、パレスチナ国家建設への確固たる道筋を示す必要があるのです。

イスラエル・レバノン関係の経緯

年月 出来事
1975.4レバノン内戦勃発
1982.6イスラエル軍、パレスチナ解放機構(PLO)掃討のためのレバノン侵攻を開始し、西ベイルートを包囲
1985.6イスラエル軍、南部を除くレバノンから撤退
1990.10レバノン内戦が終結
1993.7イスラエル軍、南部レバノンで大規模なヒズボラ掃討作戦を実施
1996.4イスラエル軍、ヒズボラ壊滅を目的にベイルートや南部レバノンを大規模空爆
2000.5イスラエル軍、南部レバノンから完全撤退
2004.9レバノン駐留外国部隊撤退とヒズボラを想定した民兵組織の武装解除を定めた国連安保理決議1559()を採択
2006.7ヒズボラによるイスラエル兵2人の拉致をきっかけに、イスラエルとヒズボラの衝突が激化

*国連安保理決議1559:1976年以来レバノンに駐留したシリア軍の撤退を求める米英仏独が提案。(1)レバノン駐留外国部隊の撤退、(2)同国の民兵組織の解体と武装解除、の2点を要求。

作成:「潮」編集部(一部語句を坂本が修正)

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