更新:2006年9月30日
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マニフェスト

●初出:月刊『潮』2003年9月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

マニフェストとは?

Question「マニフェスト」という言葉をよく聞きます。
どういうことですか?

Answerマニフェストは英語のmanifestoで、もともとは主権者、政府、政党などが出す宣言や政綱(政治綱領《こうりょう》)のこと。(当サイト掲載時の坂本追記:マルクスとエンゲルスが出した「共産党宣言」は、英語ではThe Communist Manifesto またはManifesto of the Communist Partyです。)

 英語にはmanifestという言葉もあり、日本語では同じマニフェストと書きますが、こちらは「明白な/明白にする」「船や飛行機の積荷目録」の意味。日本では産業廃棄物の処理に関して「マニフェスト制度」を設けています。このマニフェストは管理表を指し、manifestのほうなのでご注意を。

 最近マスコミによく登場するマニフェストはもちろん前者の意味ですが、政治綱領というよりは「政党や立候補者が出す公約」、それも「数値目標、実施期限、工程、財源などを明確に掲げた具体的な公約」を指します。

 マニフェストの重要性を最初に強調したのは北川正恭・前三重県知事(現在、早稲田大学大学院教授)。その解説を紹介しておきましょう。

「どんな政策をいつまでに、どこまで、どんなプロセスとカネで成し遂げるか、期限と目標、工程、財源を数値であらわして選挙前に示すのがマニフェスト。従来の公約は、税金はまけます、福祉はいっぱいやりますといった単なるスローガンだった。できればいいなという『ウィッシュ(願望)リスト』だ」(2003年3月26日付「日本経済新聞」)

 北川前知事は改革派知事のリーダーで、2003年4月の知事選(本人は出馬せず)候補者にマニフェストを掲げることを提唱。これが中央政界にも波及し、秋に総選挙があるかもしれないという政治日程の中、マニフェストという言葉がクローズアップされてきたのです。

公約は、なぜ抽象的か?

Questionこれまで候補者が掲げる公約が
スローガンばかりだったのは、なぜでしょうか?

Answer公約とは、公衆――国民や大衆に対しての約束です。国会議員や県・市町村会議員選挙、知事・市町村長選挙の立候補者が、当選したら実現するつもりの政策や方針を有権者に対して約束するわけです。

 ところが、テレビやラジオの政見放送や新聞に折り込まれる選挙公報でご承知のように、多くの候補者の公約は、「福祉に力を入れ、安心して暮らせる社会をつくる」「中小企業対策を強化し、雇用を確保」「地域社会全体としての教育を推進し、健全な青少年を育成」などと極めて抽象的。候補者がどんな問題に関心を寄せているかはわかっても、具体的に何をどうするのか、よくわかりませんね。

 このような公約が蔓延《まんえん》する理由は、いくつかあります。まず、政見放送は5分30秒といった時間の枠、選挙公報はA3規格の用紙に8人分といった大きさの枠があり、伝えることのできる公約には限りがあります。あまり細かい数字を言っても視聴者や読者に伝わりませんから、わかりやすいスローガンや政策の柱をいくつか掲げ、あとは熱意を訴え、過去の実績を見てもらうという手法に傾きがち。そこで抽象的なもの言いが増えていきます。

 また、日本では地元に道路やダムを造る、鉄道や企業を誘致するという利益誘導型の政治が長く続きました。それをあまり露骨《ろこつ》に打ち出すのは問題ですから、ボカして「郷土のために心血を注ぐ決意」と訴えます。中選挙区制度が長かったことも、候補者は政党の違い以外に政策の違いがあまりないわけですから、具体的な公約が不要だった理由の一つ。その結果、選挙カーは名前を連呼するだけという話になります。

 しかし、国と地方の借金が1000兆円に迫る今、利益誘導型の政治に先はありません。政治家がいくらスローガンや情熱を訴えても、構造改革や景気回復が進むとは限らないことは明らか。だからこそ、かつての公約に代わるマニフェストの必要性が浮上しているわけです。

お手本はイギリス

Questionマニフェストという英語を使うからには、
海外にお手本があるのですか?

Answerお手本はイギリスです。イギリスでは下院(衆議院にあたる)解散の直前、政党が政策をまとめた冊子を発表するのが通例で、これがマニフェスト。書店では2ポンド(約400円)前後で売られ、これに基づいて与野党間の政策論争が繰り広げられます。たとえば2001年総選挙の際の労働党マニフェストには、「医療充実のため看護師2万人、医師1万人を採用」と数値目標がハッキリ打ち出されています。

 また、北川前知事は「マニフェストは、5〜6年前に三重県庁で入れました。市民憲章、シティズンチャーターとして」(「週刊東洋経済」2003年4月12日号)とも語っています。

 イギリスのメージャー首相(保守党)は1991年、公共サービスは住民の税金によって賄《まかな》われるという考え方から住民を公共サービスの顧客とみなし、顧客満足度の向上を目指して、市民憲章を公表しました。これもマニフェストのお手本の一つと考えてよいでしょう。

 この憲章は、たとえば住民の苦情申し立てのあり方について

「誰でも簡単に苦情申し立てができる制度。苦情申し立て方法についての情報が簡単に入手可能。情報入手のための連絡先を明確化。苦情処理マニュアルを策定。マニュアルには苦情申し立て人が満足できないときの次の手続きを記載。苦情はまず現場で処理。内部で処理できないときはオンブズマン制度を活用。市民審査員制度も検討」

というように、公共サービスの基準を事細かに書いています。

 イギリスでは、公共サービスの苦情処理はそのようにすると、保守党が公約したわけです。さらに患者憲章(外来患者の待ち時間は30分以内などと規定)、郵便局憲章(待ち時間は5分以内、必要な用紙がないときは利用者に無料で郵送などと規定)のような個別憲章が多数公表されています。

 日本で市民憲章といえば「恵まれた自然を大切にし、清潔で美しいまちをつくります」などと標語を五つほど並べるのが通り相場。しかしイギリスの市民憲章は、1215年の「マグナ・カルタ(大憲章)」(封建貴族がジョン王の圧政に抵抗して恣意的課税の禁止などを承認させた文書で、英国憲法の原点の一つ)までさかのぼれる市民の権利宣言ともいえるのです。

政策本位の政治に

Question候補者がマニフェストを掲げることは、
選挙や政治にどんな影響を与えるでしょうか?

Answer有権者にとっては、候補者が訴える政策の実現可能性が明確になり、投票する際の判断材料になります。前回の選挙時のマニフェストは候補者の勤務評定《きんむひょうてい》にも使えます。知名度や人気は高いがマニフェストがない、つまり政策がない候補者を見抜くことも容易になるでしょう。

 候補者にとっては、抽象的な公約では「そういう意味ではなく解釈の違いだ」「その方向で努力をしたことは事実」というような言い逃れができたのが、数値を書き込んだマニフェストでは実現できなかったとき責任を問われることになります。候補者の責任はより重くなり、政策本位の政治が期待できます。

 もっとも問題もあります。マニフェストをインターネットで公開することはできますが、冊子にして選挙中に配ると公職選挙法に抵触してしまいます。この点では法改正も視野に入れて議論すべきでしょう。

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