更新:2008年8月16日
現代キーワードQ&A事典の表紙へ

老化防止遺伝子

●初出:月刊『潮』1998年1月号「市民講座」●執筆:坂本 衛

Question老化を防ぐ遺伝子が発見された、との記事を
読みました。どういうことですか?

Answerいつまでも若く長生きしたいというのは人間の根源的な願望でしょう。秦《しん》の始皇帝は不老不死の薬を生涯追い求めました。不死の薬は竹取物語(かぐや姫)にも出てきます。西洋でも「不死鳥」神話や「生命の泉」伝説は広く伝わっています。還暦に赤ん坊のような格好をして祝うのも、生まれ変わりを願ってのことです。

 さらに、高齢化社会が進むと、老化は人類が直面する最重要課題のひとつと考えられるようになりました。バイオテクノロジーなど生命科学の分野でも、老化の研究が著しく進んでいます。

 最近では、生物の体内にある「遺伝子」が、老化という現象に深く関わっていることがわかってきました。ここでは、まず遺伝子とは何かを説明しておきましょう。

 イヌから生まれる子供はイヌで、けっしてネコやネズミにはなりません。親子で顔が似ていることもよくあります。このように、親の性質が子に伝わることを「遺伝」といい、実際に遺伝をコントロールしている因子を「遺伝子」といいます。

 生殖細胞(精子と卵子)の遺伝子だけは、からだをつくる細胞の遺伝子の半数で、受精によって新しい遺伝子がつくられます。こうして両親の形質は子に受け継がれます。

 現在では、遺伝子の本体は「DNA」(デオキシリボ核酸)と呼ばれる細長い糸のような物質であることがわかっています。DNAは、四種類の塩基というものが並ぶ二重らせん構造をしています。この塩基の並び方が、遺伝情報となるのです。

 DNAは、すべての生物のすべての細胞に含まれ、細胞が分裂するときは、同じものが複製されます。また、生物のからだをつくるタンパク質は、DNAをもとにしてつくられます。ですから、DNAは生物の設計図ともいえます。

早期老化マウスが誕生

Question老化を防ぐ遺伝子は、
どのようにして見つかったのですか?

Answer見つけたのは国立精神・神経センターと東大医学部などのグループです。同センターの鍋島陽一・神経研究所遺伝子工学研究部長をはじめとするグループは、マウスの受精卵の遺伝子(DNA)に、さまざまな遺伝子を組み込む実験を重ねていました。

 先程説明したように、DNAは長い鎖状をしていますが、ある種の酵素(生物の体内でつくられるタンパク質)を使うと、はさみのように切ったり、ノリのようにつなげたりすることができるのです。

 この遺伝子操作という技術を使って、外から遺伝子を組み込むと、マウスの遺伝子には一種の「キズ」ができることになります。そして、キズの入った遺伝子が生体機能にとって重要であれば、マウスに何らかの変異が現れるはずです。これを「挿入突然変異」と呼びます。ただし、一代限りでは変異が現れないことも多いので、こういうマウスを多数かけ合わせ(子をつくらせ)て、どんな変異が起こっているかを調べました。

 すると、ある一系統のマウスだけが、乳離れする生後三週間まではふつうに育つのに、そこから先は発育が止まってしまい、次のような老化症状──成長障害、早期死亡(二〜三年生きるはずが、平均寿命六十日)、動脈硬化、骨粗しょう症、小脳のプルキニエ細胞の脱落、性腺の萎縮、胸腺の萎縮、胃壁・皮膚・気管・心臓弁などの石灰化、皮膚の萎縮や毛根の減少、を見せたのです。

 これは、ヒトの老化症状にとてもよく似ています。人間には、十〜二十代で老化が始まってしまう早期老化症という病気がありますが、その症状にも当てはまります。そこで、このマウスは世界で初めて得られた「早期老化マウス」であると考えられました。

クロトー遺伝子と命名

Question老化マウスができたなら、
見つかったのは老化遺伝子ではないんですか?

Answerいやいや。マウスの遺伝子にキズをつけたら、極端な老化症状が現れました。だから、もとの遺伝子は老化を防止する遺伝子ではないかというわけです。その後の研究によって、もとの遺伝子の構造が明らかになり、この遺伝子は「クロトー遺伝子」と名づけられました。クロトーとは、生命の誕生に立ち会い、生命の糸をつむぐ女神の名前だそうです。

 この遺伝子がつくるタンパク質は、腎臓で多く、中枢神経系で少し見つかりましたが、老化の変異が激しく見られる肺、骨、胃壁、皮膚などでは見つかりませんでした。そこで、クロトー遺伝子の機能には、生体を循環する因子が介在して、なんらかの働きをしているのではないかと考えられます。

 また、ヒトにも同じような老化をコントロール(防止または抑制)している遺伝子があることもわかってきました。

 老化マウスの症状が人間の老化症状と酷似しているので、生物には種を越えて老化をコントロールするシステムが存在するのではないか、とも考えられます。その遺伝子に何か変異が起これば、体内のさまざまな組織に老化という変化が生じるわけです。

老化の原因とは?

Question老化は、遺伝子によってだけコントロールされているのでしょうか?
だとすれば、寿命は生まれたときに決まってしまいますね?

Answer老化の原因にはさまざまな説があります。ひとつは「プログラム説」と呼ばれる説で、成熟や老化や死はあらかじめ遺伝情報としてDNAに組み込まれており、そのプログラムにしたがって一定の順序で起こるという考え。

 長生きの家系があるように、寿命が遺伝することは明らかで、とりわけ「きんさん」「ぎんさん」のような一卵性双生児の寿命の一致率は非常に高くなります。また、早期老化症という病気も遺伝します。これらは、遺伝子に老化のプログラムが存在していることを示唆していると考えられます。

 さらに、からだをつくる細胞は分裂回数が有限であることがわかってきました。これも遺伝子が老化を支配している証拠と考えられます。

 もうひとつは、「エラー説」と呼ばれる説。生命の維持に欠かせない遺伝子の自己増殖のプロセスが、時がたつにしたがってエラーを生じて、老化の原因になるという考え方です。

 実際DNAに放射線や紫外線を当てると、キズが生じたり、鎖が切られたりします。生物には、これを酵素によって修復する機能がありますが、年とともにその機能は低下します。一方DNAの誤りはどんどん蓄積されていき、最後に破綻してしまうというのです。

 このほかにも、老化を説明する説はいろいろと提案されています。

Questionクロトー遺伝子の発見は、
プログラム説のほうに近いのですね?

Answerええ。タガがはずれると老化プログラムが動き出すという遺伝子に突き当たったわけですから。しかし、環境が寿命を左右することも確かですから、プログラム説だけで老化を一〇〇%説明できるわけではないと思います。大筋はプログラム説で説明できても、エラー説による補完が必要なようです。

 さて、今回の早期老化マウスは、年齢を重ねるのにともなって発症するさまざまな疾患を研究するための、重要なモデルマウスになると考えられています。

 なにしろ、これまでにヒトやサル以外の動物では、ヒトに見られるようなはっきりした老化症状が観察されることはありませんでした。ヒトでは倫理的な制約から人体実験が難しく、仮に実験できたとしても寿命が長すぎます。このマウスを使って老化メカニズムの解明がいっそう進むことを期待したいですね。

「現代キーワードQ&A事典」サイト内の文章に関するすべての権利は、執筆者・坂本 衛が有しています。
引用するときは、初出の誌名・年月号およびサイト名を必ず明記してください。
Copyright © 1998-2015 Mamoru SAKAMOTO All rights reserved.

Valid CSS! Valid XHTML 1.0! Another HTML-lint がんばりましょう! 月刊「潮」 坂本 衛 すべてを疑え!!

現代キーワードQ&A事典の表紙へ
inserted by FC2 system